両忘の時‐ある日、その時‐

TOP »  メッセージ

メッセージ

92.亡者たちよ、戦争放棄を謳う憲法に触れるな

 改憲を急ぎ、騒ぐ者たちの顔を見ればすぐにわかるであろう。信を置くには足りず、すべて底が割れているのである。彼らの改憲についてのもっともらしい言説はすべて戦争の正当化ということに尽きる。平然と詐術を弄する者たちに決してこの「平和憲法」を触れさせてはならぬ。実際、亡者のような者たちが時代が変わったなどと道路交通法をいじくり回すように国の根本法に手をつけているのであるから恐ろしい限りである。当然、その「改憲案」の内容も問題だらけである。

 「憲法論議」などと称して、「憲法改正」について「草の根運動」を展開しているカルト集団もあるが、内容は詐術的誘導である。それに乗せられれば、やがて愚かしい戦争に巻き込まれることになる。どのような理由をつけようが戦争は愚行であると同時に無能の証であることを知らなくてはならない。とにかく、この亡者の集団にだけは憲法を触れさせてはならない。結果は火を見るよりも明らかだからである。再び、焼け跡に焼き鳥のような死体が累々等々、誰もそのような光景は見たくもあるまい。蓋し、改憲論者とはわざわざ稀有な経緯で持てた世界に誇れる憲法を捨てさせ、先の見えたありふれた「凡国」する亡国の徒にしか見えないのである。

 凡夫が亡者になることで得られる全能感、それは亡者になれなかった多くの凡夫を巻き込んで転がり落ちるのが必定である。この全能感を得るために亡者は必死なのである。今ここで必要なのは「冷静さ」である。詐術に乗せられないためには自らの欲望もコントロールできなくてはならない。

                                  2018 4/28

追記:自民党の改憲条文案は、「自衛隊の根拠規定を明記する」だけではないことを明確に知るべきである。細工を施された文言には解釈次第ではどうにでもなる危険性を持っていることを認識しないと「こんなはずではなかった」という悲劇を生むことになる。その時にはもはや身動きもつかない状態になっているのである。

91.「Face book」の個人情報流失

 案の定である。このサイトは「Face book」とはまったく無関係であるが、そのようにしたのはそれなりの理由があるからである。利用価値があると思う者は使えばいいだけのことであるが、このような個人情報流失もそうであるが、それ以前に「世界の人々につながろう」というコンセプト自体に危うさと甘さがある。何に対して、どのようにつながるかが不明瞭なまま個人的な性向、趣味で「つながって」もそれは自己満足の域を出ず、その動向自体が利用されるだけである。このサイトでも、「Face book」などを利用してその恩恵に浴しているのは実のところ捜査機関、市場調査機関であると言ったことがある。実際に、フォロワー数などでそれほどの根拠もなく一喜一憂している者たちよりはるかに捜査、調査上のデータ収集の方に利便性はあると思われる。誰でもが共感しそうなことを発信してフォロワー数何十万件などと言って見てもその実効性となると不明で、さらにその関係の実態となると実に空疎な場合が多いと言わざるを得ない。そこではフォロワー数の量が質に転化されることは稀であるということである。それに反して「第三者的機関」は俯瞰的にその「つながり」の状況を把握でき、現実的な価値は多大である。

 しかしながら、このような世界的傾向を全面的に否定するつもりはない。将来そのような問題をすべて通り越して質的に高められた内容で「つながり合う」、「認め合う」ものになることを願っている。

                               2018  4/15

90.俳人・金子兜太さん逝く

 金子兜太さんも地獄を知っている俳人の一人であろう。この方は直接面識はないが何とはなく身近で縁のあった俳人でもある。それは共感し得る領域が多かった俳人ともいえる。最後まで鮮明で、明確な感性を持ち続けた方であった。

 2015年の安全保障関連法案反対の広がりの中での「アベ政治を許さない」という揮毫(きごう)は今なお生々しい記憶でもある。私もこのサイトでは以前から「アベ」を使用していたのでより親しみを感じたのを覚えている。最近でも荻窪を歩いている時に、この金子さんの「アベ政治を許さない」という揮毫が何気なく門扉に貼られているのを目にしたこともあった。

 因みに、米国の政治学者170人による米大統領経験者44人の格付けが発表されたがトランプは最下位(12.34)、トップはリンカーン(95.03)であったという。それではアベはどうか?アベはトランプと一心同体であると豪語しているのであるから、当然、歴代首相経験者の中で最下位であろう。首相のみならず内閣そのものも最下位であろうと思われる。最下位で長期となれば最悪で、庶民の受難は拡大するだけで明日は我が身なのである。

 

                                  2018 2/21

89.もうそれ以上ふれるな!

 もう見過ぎた、聞き飽きた

 あなた方の魂胆は

 

   もうそれ以上 ふれるな!

 それが憲法だ!

 

                                                                                                                2018 1月

88.2018年元旦

 実に美しい月でした。

 月は静寂がよく似合う

 派手なご来光もいいが、

 とかく騒々しく、足元も見えなくなるのが玉に瑕

87.素破、山売、人誑の時代に

 上から下まで仕掛者すなわち詐欺師の時代に今年はひときわ「すっぱ」、「山売り」、「人たらし」が際立った年でもあった。当然、来年はそのような仕掛者たちの謀略をいかに見抜き、切り抜けるかが各々の方の平安につながるということになるが、「神頼み」、希望的観測ばかりでは策士、謀略者などの思うつぼで、状況はますますひどくなるだけである。

 夢と希望を売る戦争屋の息継ぎのような正義、偽善をそしる偽悪者の群れ、よだれのような笑いの中で沈みゆく者たち、貧者同士の悪口雑言、富者に同調する貧者のよじれ、己の姿が見えぬ者が己の影にだけはおびえる怪奇、年の瀬にふとそんな言葉がよぎる一年であった。

  よいお年を!

                                  2017 12/28

86.松元ヒロの登場にほっとする

 このサイトでは、ジョルジュ・ビゴーを取り上げた頃にも、なぜ松元ヒロのようなことをする者がいなくなってしまったのかを問題にしたことがあるが、実際、松元ヒロの登場は遅いくらいである。今後、まったくこのような人材が現れないのであれば作・演出・出演で私自身がやらざるを得ないかなどと思ったくらいであるから、彼の登場にはほっとしているというのが正直なところである。だらしない馬鹿笑い、よだれのような笑いばかりでは白痴の白痴化はさらに進むだけであろう。風刺の効いた心地よい笑いは、ワサビの効いた酢の加減も舎利もいい寿司を食っているような感じでもある。さらに後味もよくいつまでも残る。要するに、エスプリの効いた笑いの喪失は食が及ぼす肉体的影響と同様に精神にも多大な影響を与えるものである。そのことについては私自身が身をもって知っていることでもある。笑えればいいという話ではない、笑いの質が問題なのである。そこでは題材の扱い方、センス、デリカシーなども大きな影響を与える。カップヌードルのような笑いに慣れてしまった者はやがて身も心も病んでいくことになるが、自覚症状がないのが厄介である。

                                   2017 12/16

 ※その後、彼のような活動をしている者を何人か確認できたが現状のテレビでは難しいというより不可能であろう。今はそのようなこと自体が大きな問題なのであるが、それとは別に独自にライブ活動などもどんどんやるべき時にきている。因みに、ほんとうの社会風刺は知性とセンスが必要で、よしもと系のノリで押し切れるものでもない。たとえば、宗教などを題材にした場合、特にイスラム教などは冗談では済まされない、扱い方次第では命も危ないことになる。しかし、ウーマンラッシュアワーの村本らの活動をようやく最近になってキャッチできた(あまりテレビを見ないので)私としては、今年最後の時に松元ヒロ、ウーマンラッシュアワーの村本の存在を確認できたことにほっとしている。ウーマンラッシュアワーのテンポは往年の漫才コンビ セント・ルイスを彷彿とさせるものがある。(セント・ルイスについては別のカテゴリーでこのサイトでも取り上げている)

 松元ヒロを引っ張り出した6チャンネルの金平茂紀、ウーマンラッシュアワーを取り上げた5チャンネルの玉川徹の両氏には今後もジャーナリストとしてより一層頑張ってほしいと思っている。ウーマンラッシュアワーの村本大輔については12月26日付けの日刊ゲンダイも取り上げていた。

 

                                  2017 12/28  

 案の定、その後の深夜番組で村本はお里も知れる大人げないキッチュたちに袋叩きになっていた。彼らの似て非なるキッチュであることが鮮明となることもある意味では必要かもしれないが、私などにはまったく必要ない。聞くまでもなく、見るまでもなく明々白々なことなのである。

 後日(1/17)、太田光が村本大輔を擁護していたが、太田の気骨には感心した。また一方では、村本の知識不足を指摘する声もあるが、それはそれで当然で、脇が甘かったことも事実であろう。しかし、この程度で老獪な者たちが向きになって攻め立てることなのか、その余裕のなさで逆に現状の「意図」、「危うさ」が見えてくる。固陋(ころう)の愚者が必ず言い出す「攻めて来たらどうする?」今の憲法で充分対応できる。どちらにしても愚者、詐欺師の類に憲法をいじらせては絶対にだめだということである。

後日(1/25)、大人げなく向きになって村本大輔を攻め立てていた田原総一郎は今度は村本の勇気をたたえていたというから、その言動そのもののレベルもわかる。                                   

                                   

85.「改憲、改憲」とかまびすしい

 「改憲、改憲」と騒々しい者たちのほとんどが「憲法『改正』」と言っているが、何が「改正」なのかまったく定かではない。少なくとも現状では、彼らに「改憲」を任せたら憲法「改正」には絶対にならないことだけは確かなのである。それらしき「美名」の下に署名活動を頻繁に行っている手を変え、品を変え、その都度名前を変える組織の署名用紙にも、何をどう改正するのかも、その方向性すら書かれていない。ただ書かれているのは「私は憲法改正に賛成します」とだけあるという。言ってしまえば、これに署名した者たちの署名用紙を「元締め」が束にしてフル活用するというパターンで、少なからず現政権に影響を与え続けている者たちのもくろむ「改憲」なのである。影響を与え続けているというより今や同体化している状態で、そのような者たちに向かって改憲の意思表示をするということは、現在ある自らの権利を敢えて放棄して、「ファシスト集団」に煮るも焼くも好きにしてくれと言っているようなものである。それでは戦死者に対しても「慰霊」、「報いる」どころか、孫、ひ孫、玄孫、まで戦死者にならえ、従えと言っているようなものであることを忘れるべきではない。それらしき雰囲気を作り出し、それに酔わせ、具体的なことには触れず、「私は憲法改正に賛成します」にサインさせ、後日、とんでもないことになるなどというのは詐欺以外の何ものでもない。それが現実になれば気付いた時にはもはや身動きがつかなくなっている。すなわち独裁政権の誕生、完成なのである。繰り返すが彼らに「改憲」を任せたら憲法は「改正」にはならず、「改悪」そのものになるということである。「日本を取り巻く安全保障環境」、「緊急事態条項」、「家族のあり方」などだけでは決してないということである。このような「提示の仕方」で「改憲」に納得しているのならもうすでに「民」なのである。そして、それは自ら「民」となることを選んだ「国民」という前代未聞の歴史的事象となろう。

 

                                    2017 11/24

84.トランプ札は切りもなく、トランペットは吹くばかり・・・

 トランプ札は切りもなく、トランペットは吹くばかり云々とはカテゴリ「五叉路」で遣った文言の一部であるが、トランプのペットとまで呼ばれている御仁は今後何を「吹く」というのであろうか。吹くものも尽きて、執拗に繰り返される言葉の言い換えであたかも新たなことをやっているように見せかけるが、世界を飛び回った挙句のツーショットばかりで、実質的に何をやったというのか。行く先々で血税をバラマキ、諸手の挙げ具合も尻尾の振りようも尋常ではない。現に武器の買い付け以外一歩として着実に先に進むものもないようである。その様は外面ばかりよい家族のことなど刹那も顧みない放蕩オヤジのごとくである。「平和憲法」の扱い方ひとつにしても、世界に対して確たる位置を確立できるチャンスをわざわざ自ら放棄して「汚辱」の中に身を置き、軍産複合体の渦に巻き込まれてしまった。改憲については、いかにその正当性を述べ立てようが、それは大なり小なり「汚辱」に満ちている。特に現在「自主憲法」などと言う者たちに「自主憲法」を作らせたらどうなるか。とんでもないことになるのは火を見るより明らかで、加計、森友問題でも実証済みであろう。合成写真のような宗教思想を信奉する「迷妄集団」がバックアップする集団と軍産複合体が再び一体化したら今度は戦前回帰どころか、その過程で日本は「実験場」となるだけであろう。それが道理というものである。実際にやっていることは、国を売っているような者が「国を守る」、「国を愛する」などとは笑止千万なのである。しかし、そんなちまちました「小ぶりなこと」より私には以前から人間が地球にはびこる悪性のウィルスのように見えてならないのである。地球もいつまでもその悪性ウィルスに付き合ってくれるとも思えない、その内にそれなりの反応をするであろうと思われるのである。無理が通れば道理引っ込むで済むと思うのは人間の浅知恵である。必ずその結果は訪れる。それが道理なのである。最近の大中小企業の致命的な信用失墜行為もその例である。

 

                                    2017 11/12

83.いよいよ始まった

 言わずと知れた、疑惑突破解散である。大義を装い、安定を装う何から何まで偽装で固めた偉そうな偽りの集団が街頭に立って何を訴えるというのか。何もないではないか。説明責任は一切せず、逃げ回った挙句の解散である。詐欺師が何をもっともらしいことをいっているのかと思われる。「オレオレ詐欺」とどこが違うのか。ある精神科医によれば、「振り込め詐欺」は基本的に3つのテクニックで構成されているという。すなわち「不意打ちにして考える時間を与えないこと」、「不安感情で揺さぶること」、「情報の遮断」である。そして、今回の解散総選挙はこの3つの詐欺のテクニックそのものであるという。確かにすべてが当てはまるのである。さらに、正確な情報を遮断されたまま「電波芸者」たちが政府の言い分を垂れ流せばどうなるか、そこに庶民の代表のような顔をしたタレントもどきが感情をぶつければなおのこと、いきおい感情的に与太話にも乗りかねない。しかしである。たとえそのような小細工を弄しても今までのイカサマ政治そのものがサイレントキラーをいくつも作り出していて思うようにはなるまい。とにもかくにもまず第一に、野党連合はこの立憲政治を根底から覆す、国民をだます対象としか見ていない政権を倒すことに集中すればよいだけのこと。こういう時には良質であれば左派も右派も共闘できるはずである。四の五の言っている場合ではない。もちろんそれだけで済む話ではないが、それが「第一歩」ということである。そのような流れの中で、「電波芸人」たちの政権擁護らしき言動(政府の言い分の「垂れ流し」と同時に行う野党「批判」も実質的には政権擁護)はすべて無視か保留、いわんやタレントらしき者たちの感情論などは論外である。

 一言付け加えれば、このサイトの違うカテゴリーでも書いたが現政権が保守というのなら日本の保守は完全に死滅している。それは恐ろしい程のレベルである。「保守」も解体、再構築しかあるまい。

                                      (9/30)

 

                              2017 9/29

※さすがに、西部邁でさえ「安倍首相は『真の保守』ではない」と言わざるを得ないのである。(10/3) 保守とは何か、この際再度検証し直してみるべきであろう。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11