両忘の時‐ある日、その時‐

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72.刊行後48時間で200万部

 これはもうベストセラー作家などという範疇、コンセプトを超えているであろう。ご存じJ・K・ローリングの新作「ハリー・ポッターと呪いの子」である。この戯曲はアメリカとカナダだけで刊行後48時間で200万部売れたそうである。「ハリー・ポッター」シリーズはすでに60数か国で訳され、億単位の部数が出ている。しかし、これはJ・K・ローリングという作家の「知」の吸収度から見ても当然の結果であろうと思われる。それは、「吸収された」ものの「質量」の違い、文化そのものから自ずと培われたものともいえる。一般教養、哲学などを重要視する国々と一般教養などは軽視され、専門知識、技術などだけに重点を置く国とでは底力が違うは当然である。御しやすい専門バカのような者ばかりを大量生産し、後は親子で楽しくゲームばかりでは「人間」そのものが衰微するのは止むを得ないことであろう。衰微どころか退化していくのは目に見えている。衰微している者同士が所在なげに認め合う作品などはあってもなくてもどうでもいいものなのである。

 敢えて言うまでもなく、J・K・ローリングが日本のベストセラー作家など及びもつかない超ベストセラー作家であるなどということだけを言いたいわけではない。作品の内容にも「吸収された」「もの」が違うということを感じるが、それと同時に映画化された作品の出来具合、出てくる俳優の層の厚さにも改めて驚かされたのを覚えている。今回の戯曲は、脚本家、演出家、作家J・K・ローリングの共同作業でもあるようなのでまた新たな展開も考えられる。「一語たりとも削除、変更は許さない」などという大様そうな偏狭な「大御所先生」とは違って彼女には共同作業も自分のものとしてしまう器量もあるように思われる。それは「自己完結」とは無縁である。そういう意味でもハリー・ポッターの「後日譚」の舞台化は気になるところである。

                                  2016 12/2

 

71.再び「PPAP」

 「PPAP」とは、ご存知のピコ太郎の「pen  pineapple apple pen」であるが、すでにこのサイト(ブログT/Z659「ピコ太郎の登場の仕方」)でも取り上げたことであるが、再び取り上げることにした。

 現時点で、動画再生回数4億5千万回を超えるそうである。私が気づいた時は再生回数1億5千万回であるからわずか1週間足らずで3倍になっている。やはり、この気張らない、それでいてどこか「エスプリ」を感じさせる流れるような「おかしさ」がいいのであろう。それは決して「爆笑」ではない。彼のしぐさ、風体、リズム、「歌詞」それが何とも言えない「おかしさ」を誘うのである。歌詞と呼べるかとも思える簡略化された言葉としぐさ、penとpineapple,そしてappleとpen語呂合わせのようでもあるが意味付け次第ではかなりイマジネーションは飛翔する。同時にどう取ってもよい幅の広さもある。

 今後、「ピコ太郎」に倣う者も現れることであろう。大いに結構なことである。それは「ものを創る」ことの根幹部分の姿勢をも垣間見させる。モチベーションが一義的に俗っぽくないのである。彼の登場と世界の反応は、マスメディアなどに左右されることなく各自が思ったこと、感じたことを自由に「表現」していけばいいということを教えている。ただし、どうしたら「受けるか」などと通俗的に考え始めたら、そこで終わりである。それではせいぜい国内でお茶を濁しているしかあるまい。

 しかし、やがて5億人以上になるであろう人々に一瞬でも「薄笑い」を起こさせたというのは大したものである。この「薄笑い」の多くは「大人」で、子供たちは「哄笑」である。以前、立川談志も彼のことを買っていたそうだが、決して「爆笑」することはなかったであろう。この「PPAP」も「大向こう」が「爆笑」する内容ではない。以前は「大向こう」を「クスツ」とさせればよしとするような芸人もいたが、今では芸もない単なるバカ笑いのような爆笑だけを笑いの基準にしている者がほとんどである。日本の総人口を差し引いても現時点で3億人以上の世界の人々が見ている「PPAP」、いつしか日本を通り越しているのである。

 

 蓋し、彼はこれだけで消えても本望であろう。

                                                  2016 10/30

追記:例によってまたマスメディアなどの陳腐な「分析」、「解説」らしきものが始まった。「ピコ太郎の正体」、「往年の芸人のパクリか」etc 要するに、そんなものはどうでもよいのである。それで何か言った気になっている者はそれまでの話というだけのことに過ぎない。それ以上の要諦を教える必要もあるまい。

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 年明けに武道館でやったとか、千三の類に乗せられたのかそれとも己を見失ったか、そもそもがわかっていないのか、もはやそれまでという感あり。お決まりのコースを辿ったというしかあるまい。

                                    2017 1/某日

 

70.「アベ・マリオ」とは?

 「アベ・マリオ」とは「アヴェ・マリア」の変種ではない。例の閉会式で珍妙ない出立ちで現れた某国の首相である。

 この姿を見て、2013年6月にこのカテゴリー「メッセージ(29)」で書いたことを思い出した。

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    テンポ ルバートのギニョール

鉛色の空の下

   風見鶏は音ばかり

歌のないロンドはマリオネット

  テンポ ルバートのギニョールが

無数のマリオネットの糸に群がっている

 

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「アベ・マリオ」は「アベ・マリオネット」であったにしろ「アヴェ・マリオネット」(マリオネットに幸あり)であったにしても悪い冗談、洒落にもならず限りなくブラックであり、すべてが象徴的である。

「美しいは汚い、 汚いは美しい」、「平和とは戦争のこと、戦争とは平和のこと」・・・ 

 

                                   2016 8/28

 

 

 

 

69.トロレット

 

  DSC_0098.JPGのサムネール画像

 

 久しぶりに書庫に入ったらトロレットとなぜか視線が合ってしまった。これは2008年にピエール・ノットの作品「背中のナイフ」を演出した際に私が作ったトロレットである。

こいつのセリフが途切れ途切れに聞こえてきた。

 

「嘘、臆面のなさ、裏切りは満ち足りた生き方の三つの祝福、死体を踏みつけ、その下の草を根絶やしにして満ち足りる・・・私は野心のトロレット・・・私と一緒に、かわい子ちゃん、ユーヴ・ゴット・ザ・パワー、ものすごいパワーを・・・私があなたを変身させる、栄光に餓えた戦争のマシーンに、唇には赤い血、目の周りは闇の色に黒ずみ、恐怖をいだかせる・・・他人をおとしめ自分を大きく見せる」・・・「液化した無気力、私は服従のトロレット、迷信、犠牲、奴隷根性は楽ちんな人生の三位一体、自由意志は心地よく取り除かれ、自立的な行動は排除されている。楽ちんに生きるために骨抜きで生きましょう」・・・「怠慢、忘却、無頓着は、苦しみのない、痛みのない痕跡のない生き方の三銃士、過去の幸福への心残りを摘出する唯一の方法は、幸福を摘出すること」・・・

                            2016  8/14                                          

 ※「背中にナイフ」については「メッセージ」の2などを参照。

 

 

68.Les journaux asservi au pouvoir

 YOMIURI ,ASAHI,MAINICHI,SANKEI,etc

Après tout ils sont les bulletins  gouvernementaux

C'est une sorte de journal official. Pour être bref  il n'y a pas de fait et verite. 

2016 7・10 le jour inoubliable

 

 Un jour ou l'autre   「Remember! remember! 7・10」  

L’histoire se répète.  Mais l'histoire ne peut pas répèter  Elle est non-réversibilité comme le temps.

Tout de même  cette stupidité est incroyable

 

                                                                                                                2016 7/10

 

※日本語でまともに書く気にもならない内容なので・・・無残な様相。

 これで「踊らされる」のであれば、亀裂の入った断崖絶壁で「踊っている」ようなものである。正気の沙汰ではない。阿漕もここに極まれり。

67.「To be or not to be,that is the question」

 ご存じ「ハムレット」の台詞である。シェイクスピアの作品の中でもこれ程人口に膾炙(かいしゃ)した台詞もないだろうと思われるが、どの訳も私には馴染まない。実際、解釈次第では微妙に変わってくる、また変わり得る可能性を秘めた台詞でもあるが、根幹部分で何かが抜け落ちているとしか思われない。

「世の在る、在らぬ、それが疑問じゃ」(坪内逍遥)

「生きるか、死ぬるか、そこが問題なのだ」(市川三喜、松浦嘉一)

「生か、死か、それが疑問だ」(福田恒存)

「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」(小田島雄志)

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」(河合祥一郎)

 

 これらの訳から、一瞬一瞬の行住坐臥の全存在の在り様そのものが問題として鮮烈に迫りくることはない。「生か死か」の類ではそれ以前の静かに深くうねる内的葛藤そのものを表現しきれない。なぜ「to be」なのかということである。それは、「いかにあるか」という徹頭徹尾存在論的自問自答の果てにしか浮かび上がってこない。そして、実はそれがすべてなのである。それは自分がどの「位置」に「いる」かを選び取る覚悟でもある。すべての問題はそこに帰着するのである。大上段に構えすぎる訳も、身近に引き寄せる訳も共にハムレットの「立ち位置」の存在論的切迫さを表現し得るものではない。いかに今あるべきか、あらざるべきか、それが問題なのである。そこには「生」も「死」もない。そうかと言って「このままでいいのか、いけないのか」などという弛緩した時間の流れの中で再構成されるほど悠長な話でもない。認識論を根拠に存在論を導き出せないという意味で「To think」だから「To be」なのではない。敢えて言えば、「思考」しつつ「ある」のである。また、私が「存在する」ということ根拠にその認識論を云々することもできない。存在しつつ思考しているだけである。

 昨今の実情を見ても、自分がどこにいて、いかにあるかも不明で、そのうちにいつの間にか崖っぷちに立たされているというようなことをよく見聞きする。凡夫がハムレットのような境涯に立たされることは稀であろうが、その問題はごく身近な問題であることは確かである。「在り方」がすべてで、言っていることは「在り方」と離れてあるのではなく、「在り方」が語らせているのである。

 具体的な例でいえば、「今を時めく」為政者とその周辺の「あり方」はそのまま彼らの全思考過程そのもので、「在り方」を変えない限り、それ以上の「もの」、「こと」はあり得ない。彼らの言動のすべては選択の余地のない彼らの「在り方」「To be」から発しているのである。「これしかない」などいう雄たけびも、「一億総活躍」なども彼らの「在り方」からくるもので、その「立ち位置」は100%国民の側にはないことは明白。だから、国民を欺くためにありとあらゆる「目くらまし」を使い、ねつ造、糊塗、パフォーマンスの常習犯となるのである。これだけ露骨にそれだけしかないというのも前代未聞で、これはやはり大問題である。

                                  2016 5/17

 

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66.日赤、ユニセフは情報開示が必要

 東日本大震災以降の動きにしてもかなり疑問点が多いことはこのサイトでも取り上げたことではあるが、多々ある疑問点を払拭する意味でも情報開示が絶対に必要である。情報開示とはこの場合、活動報告書、財務報告書である。募金を行って集めた金の具体的使い道がわからないからという理由で政府に丸投げするようではすべての人の善意が迷宮に入るようなものである。公式サイトなどで情報開示をしない限り信頼は取り戻せまい。活動が国際的なものであれば国際的にも通用するものが必要である。

                                   2016 5/5

65.「実学」阿世の徒

 「曲学」で権力に、あるいは社会に阿る(おもねる)者、すなわち曲学阿世の徒などは掃いて捨てるほどいる。「実学」が「曲学」(真理を曲げた不正の学問)とは限らないが、経済、工学、医学などの「実学」といわれる分野は、非実学的分野すなわち人文社会科学系の視座がないとすぐにマッドサイエンス、マッドエコノミーにもなりかねない危険因子を常に持っている。特に現在のようにmammonism(拝金主義)が其処彼処で吹き荒れているような終末的資本主義の流れの中では、「源氏物語やフランス文学を研究して会社の業務の役に立つのか云々」という問いかけ自体が、終末へ向けて途中駅で特急列車に乗り換えるようなものなのである。そのことにまったく気づきもせず、したり顔で「実学」の優位を説き、人文科学系分野の無意味さを論うのであれば、かなり危険な状態であろう。それは自ずと権力にとって都合の悪い人文科学系の視座を消し去るための戦略ともつながり、それにmammonismが相乗作用を起こせば必然的にマッドサイエンス、マッドエコノミーは作り出されてくる。 もうすでに我々は終焉そのものに立ち会っているのかもしれない。「人間の終焉」そのものである。

 「実学」とは言ってみれば「技術」である。程度の差はあるが技術的なものは三年もあればほとんど身につく、経験則だけの集積であればさらに時間は短縮できる。学生であれば社会に出てからでも充分間に合うものばかりである。ところが、人文科学系の視座を育てるには時間がかかるのである。それもすぐに「換金」できるような「代物」はほとんどないというのが「実学」との違いでもある。しかし、後々とんでもなく大きな開きが出てくるものが「非実学的領域」である。それは、その時になってからでは簡便に修正、修復、獲得できるようなものではない。それが文化レベルの「無形」のすぐには察知し得ぬ、気がつかない怖さである。そもそも人文科学系の素養もないようなテクノクラートなど世界の今後の趨勢から外れざるを得まい。要するに、やろうとしていることは逆行しているのである。

 とにもかくにも、「実学」阿世の徒とアスリート、タレント、疲弊した思考停止状態のワーカー、彼らは全体主義的「指導者」とって常に欠かせない者たちであることは今も変わりはない。

 

                                  2016  4/10

64.日本の仏教は「葬式仏教」が主流

 「葬式仏教」とは本来の仏教とは似て非なるもの、すなわち似非仏教なのである。生きている者たちを対象としない仏教など死んだも同然の仏教である。それなりの方便を持ったそれなりの祖師のいた伝統的仏教集団も現在ではおおよそが死に体同然、さらには仏教思想とは離反する言動を平然となす「高僧」まで現れる始末であるから、当然のごとく宗教を「最終ビジネス」と捉えて営利を貪る輩も出てくる。そのような現状にもかかわらずごく少数の仏教者は本来の仏教思想を踏まえて日々実践していることであろう。しかし、それはほとんど「表」に出て来ることはない。むしろ、「表」に出ることを嫌う傾向さえある。今、方便の寄せ集めのような方便、本質とはかけ離れるばかりの「教え」を片手に派手な宣伝をしている宗教関係者、あるいは「既得権益」しか頭にない既成寺院の関係者などと本来の仏教思想は無縁である。

 仏教思想の方便は飽くまで方便、場合によってはそれによって仏教そのものから遠ざかることにもなる。戒名、布施などの金銭が問題となるなど言ってみれば外道である。ここには仏教の大衆化路線に伴う安易な方便化の弊害もある。そして、仏教とは関わりのないところでいつしかできてしまった既得権益などは御多分に漏れずここでも同様なのである。仏教思想の「立て直し」などとは二の次三の次、寺院の「経営的手腕」の類が問われているだけでは仏教の中枢とは乖離するばかり。実際、テレビなどに出て来る「坊さん」たちを見ていると、とても「僧」として研鑽を積んでいるようにも実践しているとも思えない、日々何に勤しんでいるのかと思うような顔つきのばかりの顔触れである。これでは葬儀屋と変わるところはあるまい。

 現状は、民主主義と同様、仏教も形骸だけで全く根付いていないということである。もし、この実情を否定する者がいたとするなら、それは単なる無知か、立ち位置は既得権益側であることの証左にしかならない。

                              2016 3/30

63.フォーブス誌の集計では

 フォーブス誌とはニューヨークに本社のある世界有数の経済紙である。そのフォーブス誌が集計した「日本の富裕リスト」によると富裕層上位40人の資産総額は2012年の7.2兆円から2015年には15.9兆円に急増している。要するに、貧富の格差のさらなる拡大である。この数値がすべてを物語っているであろう。これは、国民の生活など眼中にないという具体的な証左でもある。それでも「他に適当な人がいない」などという意識レベルで安易に託していると気が付けばドン底ということになる。今、とんでもなく「不適切」な「人間」が政治を行っているのである。国民一人一人が「適当な人」を育てる気持ちがなくては民主政治など成り立ちようがないのは言うまでもないこと。放置すればすぐに暗黒のとばりは降りて来る。この数値が示す現状に根差さない言説などはすべて絵空事。選挙のためにだけ作り出されたその場しのぎのねつ造、糊塗、目くらまし、詭弁の類と見て間違いはない。「人間」の破たんの現実の様相をまざまざと見せつけられる思いがしている。とにかく何から何までめちゃくちゃで、今更もっともらしい分析、意味付けなどまったく必要はあるまい。少なくとも99%以上の国民は全面的に拒否することしか選択の余地はないはずである。

 

                                     2016 3/21

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