Le Profil de Masaru Hirayama
平山 勝
(Masaru Hirayama)
東京生まれ。麻布から杉並に移り住んだのが祖父母の代で100年以上前、古い表札には杉並村高円寺原とあった。2008年、周囲の環境の変化(木々の伐採、騒音等々)も耐えられるものではなくなったので移転した。文化の香りが辛うじて残っていた一角も、もはや完全に消失してしまった。
以前、大学で教えてみないかという話もあったがお断りし、3、4件あった演劇活動の協力依頼も辞し、今に至っている。スタッフとして協力してくれた者の中には岸田戯曲賞を受賞した者が2名いたことなども備忘録には書き記してある。
※現在に至る一つのエピソードとして、このサイトのカテゴリ「五叉路」の中の「俳諧師藤田あけ烏氏のこと」と題した文章にその一部が書かれている。(備忘録確認のために)
<このサイトは、主に文化、社会事象、作品についての備忘録で、Facebookなどとはまったく無関係なサイトです。>
現在、私にとってこの備忘録(2008ー現在)は「記憶の篩(ふるい)」、「時の篩」、すなわち、いつでも取り出せる記憶の再生装置となっている。(2022 1/20)
URL http:// www.mlml-h.com/
作家、エッセイスト、演出家, 劇作家、プロデューサー、講師 etc
(2008年9月パリのユシェット座を訪れ、バタイユの話を劇場の者としたばかりだったが、翌10月ピエール・ノットの芝居の稽古中亡くなった。)
作・演出
翻案・演出
「死者の書」 折口信夫. 「山吹」 泉鏡花.「月と死神」 ガルシア・ロルカ. 「真夏の夜の夢」 シェイクスピア. 「挽歌」(「万葉集」より). 「葵上」 .
「出口なし」 J・P・サルトル). 「小さな殺人者」 レイ・ブラッドべりー.「幸福の塩化物」 ピチグリッリ. etc
翻訳・上演台本
「女中たち」 ジャン・ジュネ. 「忘却のスター」 イヴァン・ダウディ (共訳)ー本邦未公開、 etc.
企画・構成
1981年、1982年「芸人たちの午後」舞踏とマイムとフラメンコのジョイント(好評につき再演)
舞踏 ギリヤーク尼崎 マイム 並木孝雄 フラメンコ 橋本ルシア
〇上記以外の演出作品は数え切れないが、1980年アトリエ・フォンテーヌで上演された「牝山羊が島の犯罪」作ウーゴ・ベッティ(主演 仲谷昇)などはいろいろな意味で忘れがたい作品となった。 再演の要望もあり、2005年シアターモリエールで中村ひろみなどの若手で再演した。
作詞
○「ジャンピングビーンズ」劇中歌 歌:三上寛 出演 星ルイス(セント・ルイス)他 ( ラロカ・デ・ラ・カーサという名前で作・演出 ) https//www.discogs.com artist 1237853La Roca Casa 一風変わったCDである。同じ歌詞を12通りに 三上寛がソウルフルに歌い分けた前代未聞の CDである。 ※ジャケットデザイン 平山勝 スファイロスーSFRー001 Japan 2003 Stage&Screen Lyrics By,Artwork By ラロカ・デ・ラ・カーサ→Masaru Hirayama ※このCDは三上寛がニューヨークに送ったことも あって一時ニューヨークでも紹介されていた。 ※注意:このCDの著作権はすべて当方にあります。 実は、この歌詞で忌野清志郎のバージョンも考えてい たが、2009年彼の死でそれも消え去ってしまった。 ○「四季ーMy love-] 劇中歌 「四季遍歴」 ○「コラソナーダ」 劇中歌(スペイン語)劇団昴公演 ( ラロカ・デ・ラ・カーサという名前で作詞 ) (終演後、どこでこのCDは売っているのかという問 い合わせがあったが、このCDは販売はしていない) ○「ファルーカ」 フラメンコ カンテ(スペイン語) ーフラメンコ リサイタルー ( エーメ・アーチェという名前で作詞 ) etc. | ジャンピングビーンズ
四季遍歴 ブローニュの森 |
エッセイ
ピエール・ノット 平山勝
2008年9月 コメディ・フランセーズ事務局長執務室にて
Pierre・Notte(ピエール・ノット)の本邦初演作品(平山勝演出)
〇「Pour l'amour de Gerard Philipe」(「ジェラール・フィリップの愛ゆえに」)2009年4月
〇「2petites dames vers le nord」(「北をめざす二人のおばさん」)2009年4月
〇「Les couteaux dans le dos」 (「背中のナイフ」)2008年11月
〇「Moi aussi Catherine Deneuve」(「私もカトリーヌ・ドヌーブ」)2007年4月 2008年再演
※内容についてはこのサイトでも取り上げているので「メッセージ」10,11,12などを参照
※参考資料ー作品紹介を兼ねてー
「私もカトリーヌ・ドヌーヴ」作/ピエール・ノット
ー日本初演(2008年)からわずか10か月後に再び「私もカトリーヌ・ドヌーヴ」と向き合うことになった。さて、これが期待以上のサプライズだった。おそらく初演の時には、民間劇場部門のモリエール賞受賞作品という立派な肩書に、何かを理解しなくてはという気負いがこちら側にあったのかもしれない。あるいはシリアスな状況下に次々に挿入される澄んだ声のシャンソンに戸惑ったのかもしれない。観終った時に自分の言葉で作品を語るには消化不良感は否めなかった。
ところが、今回は見えた。舞台上の登場人物の心象風景がくっきりと見えた。カトリーヌ・ドヌーヴという絶対的にして甘美な虎の威を借りて自分のおぼろげなアイデンティティを支えようとする姉ジュヌヴィエーヴ、母親がまだ母親でなかった頃の歌手人生を引き継ぐかのように歌い続ける妹マリー。彼女の自己確認は口を開いた皮膚の下からにじみでる赤い血。そして、母親は思う通りにならない家族に間断なき小言の散弾を浴びせ、レモンケーキを焼き、娘の血だらけの下着を洗う。家族で唯一の男子、長男はといえばたまに実家に戻ったかと思うと映画の引用と母親の文法の間違えを指摘するときににしか口を開かず、ケーキの種にふくらし粉をひと袋丸ごとあけてしまう。文字にすると破壊的で悲愴感に満ちた家族の姿。しかし、舞台で目にする彼らは、力強く歌い、テンポ良く罵倒しあい、その過剰な不器用さゆえの滑稽さが切ない。手にはカッター、肉切り包丁、ピストル・・・あたかも死と戯れているように見えながら、聞こえてくるのは声にならない、もっと生きたい、もっと存在したいという切実な声。自分と違う誰か、ここと違うどこか、言葉にできない欲求をもてあまし、もがき、苛立ちをぶつける彼らは決してあきらめていない。むしろ生に対する熱烈なラブコールにさえ思える。それほど今回観た舞台は演出にも役者の演技にも力が漲っていた。個人的な好みを言えば、母親役を演じられた山下清美さんの小気味よい独特のセリフ回しが戦前のパリの下町女を演じて右に出る者がないアルレッティを彷彿とさせ、ヌーヴェルバーグ以降の映画の引用が散りばめられた本作で、時代遅れの存在感をひときわ際立たせていたように思う。
ーフランス語通訳・翻訳 人見有羽子氏の文章よりー
私は、人見氏とは面識もないが、的確に作品を捉えた文章で白眉なので記録に残すことにした。