両忘の時‐ある日、その時‐

TOP »  五叉路

66.すべては「孤独死」である。

 実のところ、すべての者は一人で死んでいくのである。たとえ、何人もの人々に看取られようともそれは同様である。「孤独死」などという言葉が意味するところもたまたま看取る者が誰もいなかったという以上の意味はまったくない。どちらにしても死に逝く者にはもはや消え入る自分一人しかいないのである。せめて心静かにこの世に別れを告げたいものである。いかに華々しく美しくとも最終章が血みどろではすべては台無しである。蓋し、人間というものは狂わずにはいられないものであるらしく、この世はやはり「精神病院」としか言いようのないもののようである。これでは最期の幕切れが血みどろとならないようにするためにはかなりの深慮が不可欠となる。

 「Ils ne nous aideront pas,on mourra seul.」 ーPascalー

                                                 2014 10/19

65.マララさんの受賞(ノーベル平和賞)に思う

 マララ・ユサフザイさんは世界の状況が生んだ「時代の人」というべきであろう。言ってみればジャンヌダルクのような女性でもある。彼女にはそのような人生を生き通せる力がすべてそなわっているように思われる。ノーベル平和賞受賞には「若すぎるのでは」、「将来、負担になるのではないか。」などのもっともらしい意見は飽くまで凡夫としての見解の枠を一歩も出ることはない。彼女のような「時に選ばれし人間」というものは凡夫などでは到底推し量れない「力」を持っているものである。タリバン過激派の暴力で頭部に被弾した際にもその立ち直りは極めて早い。彼女自身も自分の受賞を「若すぎるのでは」と呟いていたようだが、それは周りに対する配慮であろう。現に、もうすでに彼女は「これ(ノーベル平和賞受賞)は出発点である」と明言している。大の大人の過激な武装集団のタリバンが「17歳の少女」マララさんを怖がる理由がよくわかる。しかし、もはや何をやってもタリバンに勝算はない。「時に選ばれし人間」の登場がそれを如実に物語っている。それが時代の流れというものである。

 マララさん登場の陰に、かの地では多くの「マララ」さんのような少女達がいることは容易に想像できる。その17歳の「少女」達の意識レベルはすでにマララさんに収斂されているようなレベルまで程度の差こそあれ達していると思われる。比較するのも気恥ずかしくなるが現在の日本で17歳の少女の意識レベルといえば「AKB」程度というのが「一般的」であろう。またそこに集う「『老』若男女」とて同様である。この歴然とした「違い」が今後もたらすであろう影響は想像を絶するものがあると思われる。日本の文化の低迷の原因は、言ってみれば、肝心なことに対して真摯にものを見ない、言わない、考えない、そのようなことに慣らされ、その積み重ねの中でいつしか培われてしまった「すべて」である。現にあらゆるものが「退廃」しているにも拘わらず「退廃の世」という意識すらなく退廃一般を「健全に退廃している」というのが実情でもある。これはもう異常を通り越している。やがて、その中から今度はまことしやかにマチス、ゴッホ、レンブラントさえも「退廃芸術」として「不用なもの」として排除する頭のオカシナ輩が現れないとも限らない。最近の活火山の山頂の感知器が故障していたなども象徴的な出来事で、やはり、日本列島は人々のどこかに憎悪を秘めた笑いの内に終末を迎えるのではないかと思われる。

 因みに、私の17歳の時は手当たり次第に哲学書などを読み漁っていた。すぐに思いつくところではキルケゴール、デカルト、カント、ヘーゲル、スピノザ、ニーチェ、フロイト、そして、なぜか16歳の時に華厳の滝で自殺した藤村操の「巌頭之感」を諳んじてもいた。もし、そのような17歳を笑う者がいれば、藤村操の死後、例によってメディアなどが拾い集めた興味本位の記事について、漱石がある種の怒りを込めて述べたことをそのまま返すだろう。すなわち、要約すれば「下司下郎、人格的にも劣る者が嗤う(笑う)権利はない。」ということである。西欧文化、日本文化に対しても造詣が深く、文化の在り方についても真摯に受け止める姿勢で貫かれたほんとうの意味で「文学者」、「作家」といえる者の視座の根本軸はやはり揺るぎない。藤村操が華厳の滝に飛び込んでからすでに100年以上が経過しているが、根本的には何も変わってはいない。ただ、漱石のような作家も藤村操のような17歳もいなくなったことは確かである。

 

                                                   2014 10/11, 10/13

                                                   

64.見透かされている立ち位置

 「立ち位置」などという言葉も元はといえば舞台の演出用語である。したがって、私などはこのブログの中でもごく自然にわかりやすい譬えのひとつとして頻繁に遣ってきたが、最近ではよくこの言葉をみかけるようになった。

 「インディペンデント擁護のサプライズの少ない結果となった。」これはパリ在住の「映画ジャーナリスト」のある映画祭の受賞結果にについての「コメント」である。「映画評論家」ではない「映画ジャーナリスト」という肩書であるがその実態は「噂のような批評、批評のような噂」、何かあるようなないような実のところ何もないという批評と噂話のあわいを縫うような明確なスタンスもない無責任な「感想」といったところであるが、よく見ればそのコメントからその立ち位置と軸足の位置までわかる。彼女にとって「サプライズ」とは有名諸氏の耳目を集めやすいもののことなのである。無名諸氏の斬新な視点、社会問題を捉えた「地味な内容」はそもそも眼中にないのである。これでは常に後追いを強いられるだけで、ほんとうの意味で耳目を驚かせるようなことはできない。しかし、またここで諸外国在住という日本人に頼っているだけという日本のメディアの情けない状況について敢えて述べる必要はないだろう。

 最近は、「〇〇評論家」という代わりに「〇〇ジャーナリスト」ということが多いようだが、逃げを打っての「わかりやすい」印象批判、単なる感想程度のものを「したり顔」で流布させられてはますます文化衰退に歯止めはかけられまい。

                                                  2014 9/21

 

63.クレープマートルは天空に映えて

 8月、私はラベンダーとクレープマートルに囲まれたところにいることが多かった。そこには葉桜となった染井吉野の巨木もいくつかあった。外に出ると必ずといっていいくらいに同じ葉桜の老木の前で腰を下ろす。そこから見える白、桃色そして橙を帯びた赤い花を見事に咲かせた三本のクレープマートルが様々に変化する天空を背景に織り成す構図が何とも心地よかったからである。成長する過程でクレープマートルには裂けて剥がれた鋭い樹皮は幹に付着する。とても猿が滑り落ちることなどできるものではない。しかし、「脱皮」を終えたクレープマートルの木肌は実に滑らかである。それにしても百日紅ならまだしも「猿滑り(サルスベリ」とは何とも貧弱な譬えである。おそらく、植木職人のような者が言い始めたのがその名の由来でもあろうが、そうでなければその「卑称」には別に理由があるのではないかと思っている。マートルとはビーナスの神木ともいわれている植物である。それにクレープという花の形状を表す言葉がついて作られているのがクレープマートルという名称である。因みにマートルの和名は「ギンバイカ」である。「銀梅花」と漢字を当てればわかるが響きは最悪である。「サルスベリ」、「ギンバイカ」、「犬ふぐり」等々、実に貧相なみすぼらしい和名である。中でも「犬ふぐり」は植物学者・牧野富太郎の命名であるというから驚く。発見者が勝手に命名するというのも考え物であるといういい例である。発見者が視野狭窄的な器量のない者であれば、森羅万象の一つからその豊饒さを奪い去り、世界を委縮させることにもなりかねない。それは決して大げさなことではなく、「もの」、「こと」に対するセンスのなさが世界を狭くしていると言ってもいいからである。牧野に命名された植物は2500種以上、「ムジナモ」などもしかり、一事が万事で想像力に欠ける詩的センスのまったくない植物界の「全能者」が植物に授けた名称を一つ一つはぎ取って再び名づけ得ぬ豊饒の世界に戻したくなる。

  クレープマートルは、小さな可憐な花弁を「散れば咲き 散れば咲きして」百日あまりの間、天地を彩る。

                                                      2014  8/30

62.再びフランソワ・ラヴォー氏のこと

 2009年10月、パリで演劇を通して再会したフランソワ・ラヴォー氏のことについてはカテゴリー「五叉路」の(11)に詳しく載せている。彼はフランスを愛し、自由を愛し、文化をこよなく愛する典型的なフランスのインテリゲンチャーであり「市民」でもある。僅かな時間ではあったが、彼との出会いは私の「出発点」を具体的に思い起こさせもした。彼の矢継ぎ早の質問の間に発せられた「どうして学生時代にフランスに来なかったのか?」、「もっといろいろ話すことができればよかったが」という言葉は今でも重い。

 F・ラヴォー氏のような知性も感性もバランス良く合わせ持ちながら生き続ける人物が今後ますますいなくなっていくような「流れ」を痛切に感じているので改めて取り上げざるを得なくなった。それは、論理性の欠如などという以前に単なる末端肥大症的な感覚の暴走でしかない言動、現象、出来事に接する機会が多く、その度に「人間の境涯」を維持することさえできなくなって「歪み」ながらシュリンクするような「人間」の増殖ばかりが目につくからである。

 

                                            2014  8/23

61.「ロス・ガジョス」も相も変わらずーフラメンコの表皮ー

 「ロス・ガジョス」はスペインの老舗のタブラオである。ある旅番組で「本場スペインのフラメンコ云々」と例によってお決まりの解説らしきものと同時に現れてきたのが「ロス・ガジョス」のフラメンコである。相変わらずと言うよりさらに質が落ちていると思われた。8年程前、「ロス・ガジョス」でフラメンコを観ることになってあまりのひどさに途中で出てきたことがある。その際、私といっしょにいたスペイン在住の日本人が私に気を使いすぎて「ロス・ガジョス」の責任者に「観ていられないから帰るという人がいる。半分しか観ていないのだから半分料金を返してくれ」とまで言ったのである。なかなか出てこない連れを外で待っている時に何度か顔を出して辺りの様子を窺っていたのがおそらくそこの「店長」であろう。テレビの映像を観ていてまたその時のことが細部にわたって思い出されてきた。ナレーションの内容も「炎のフラメンコ」、「情熱のフラメンコ」という程度の陳腐なステロタイプな内容、「魂」という言葉が一体何回遣われただろうかと思うが、その割に映像とはずれていて使い古された言葉だけが気恥ずかしくなるくらいに宙に浮いていた。一般のレベルというのはこの程度なのか思う反面、これではフラメンコへのアプローチの深化など求むべくもないと思われた。単なる貧弱な製作費の結果の映像であることを切に願うだけであるが、実際スペイン以上に日本においても教える側そのものが半可通な者が多いのでよくできて「観光フラメンコ」、それ以上のレベルのフラメンコに出遭うことは極めて稀である。中にはスペイン舞踊とフラメンコの違いすら明確でない者など、ただ蒙昧としか言いようのない者も多い。いわんや観る側の美意識レベルなどさらに限られてくる。どの世界でも本物に「出遭う」のは並大抵ではない。そして、出遭ったとしてもつかみ切れずに逃してしまうことの方が多く、一度逃したらもはや一期一会なのである。

 「ロス・ガジョス」の質の低下についてはスペイン人自身もそう思っている節はあるが、当然であろう。「本場」、「発祥の地」などという言葉はそれが頻繁に遣われる時点でもはや「幻影」、形骸化されてしまっていることの方が多いものである。そして、それはその地で多く行われていたという程度に過ぎず、実のところ「原型」ともいえるものの厳密な特定はさらに難しくなる。

 

                                                   2014 8/14

60.「酒中の忙」

 「酒中の忙」とは漱石の漢詩に出てくる。

幽居 正に解す酒中の忙

華髪 何ぞ須いん酔郷に住むを

 すなわち、静かな生活を送っていると酒席,杯事のうっとうしい慌ただしさがよく見えてくる。白髪が出てくる歳になってまでそんな「酔い」の世界に身を置く必要があるのか、というほどの意味である。私が酒を飲まなくなったことについては以前にも書いたが、「幽居」であるかどうかはさておき、「垂直」の時の流れが追い風に乗る機会が多くなると自ずと酒席の興趣は消えるのである。

 そして、静かに香でも焚けば文句はない。

「所に随い縁に随いて清興足る」、というのは今の私の実情でもある。

                                               2014 7/17

59.「五七五」のすさび

 最近、俳句形式の筆のすさびに新たな意味づけをして活用しているのをよく見かけるが、私が10年程前にある俳人から頼まれて寄稿した文章の中にすでにその原型ともいうべきものはある。具体的な活用方法は俳句というより「五七五」の言葉のすさびと呼んだ方がいいだろう。新たな言葉との対面によって引き起こされる自己活性化、あるいは「天狗俳諧」的な言語遊戯がもたらす言語に対する興味、視点、思考回路の転換等々。自らの貧しい言語に呪縛されている人々などには困難というよりそのような機がないかもしれぬが、そうでなければこの「五七五のすさび」を通して何らかの展開の契機ともなり得るのではないかと思っている。

 「五七五」の活用も様々で、認知症の防止のために、あるいは写真との併用でスケッチブックに彩を添えたり、果ては一国の首相の怖ろしき「話芸」にまで遣われたりと一方ではブラック化も進行している「五七五」ではあるが、元来、五七調、七五調は心地よいものである。昨今の俳句形式の頻用は、季語にこだわるわけでもなく、そうかといって無季俳句といわれるほどの静かなる「気迫」を感じさせるものでもない。やはり「五七五」のすさびと言った方が適切であろう。しかし、そこには簡便さと心地よさを併せ持つものが放つ軽視できないやっかいな「もの」や「こと」も同時に隠されている。

 因みに私自身は「五七五」を文章中で主に強調、転換、閑話休題的に遣っている。

 

                                                2014   6/17

 

                                             

58.この道は 一期いまだし とぞ覚ゆる   ー魯孤ー

世中を捨てて捨てえぬ心地して

都離れぬ我身なりけり

 

捨てたれど隠れて住まぬ人になれば

なお世にあるに似たるなりけり

 

                             

 白洲正子氏は、以上の歌は「西行の偽りのない感慨であったに相違ない。そういう生活態度を、西行は肯定しつつ、反省もしているがけっして改めようとはしなかった。見ようによっては『世中を捨てて捨てえぬ」暮らしぶりに大変な自信をもっていたような印象をうける。そして、いわば中途半端な生きかたのままで、大きく豊かに成長をとげて行ったところに、西行の真価は見出されると思う。」と述べている。やはり白洲氏の慧眼は並ではない。

                                       ー「西行」 白洲正子よりー

 本来的に半端ではない者が「中途半端である」ということを明確に意識し,それをよしとするまでにはどれほど身も心も引き裂かれたことか。そして、現実的には負の領域の方が多い「中途半端である」ことを終生我が身に引き受けるということなどは余程の覚悟なくしてはできるものではない。しかし、そこに辛うじて自らの「源泉」を見出し得たのかもしれない。それは、分別の射程圏外の心の働きと言う意味での「業」ともいえるもので、そもそもが世の得失などとは無縁なものである。

 

                                                                  2014  6/2

57.分け入っても 分け入っても・・・

 「分け入っても 分け入っても 青い山」、誰でも知ている山頭火の句である。山頭火にしても、「咳をしても一人」の尾崎放哉にしても自らある境涯に身を置かざるを得なかった者の偽らざる真情の吐露があることは誰も否定し得ないことであろう。しかし、彼らの境涯だから可能なことで、何ものをも捨てきれない者が彼らの真似をしても何の意味もない。そこには明確な質の相違がある。彼らの句は彼らの境涯から染み出してきたもので、その中には人間の実相を言い当てているものもあるということである。

 分け入っても 分け入っても 青い山が見えているならまだよい。分け入る者に「青い山」が存在し続ける限り分け入る者に少なくとも方向は示されている。分け入る前から青い山は見えていたのか、それとも分け入り始めて青い山が見え始めたのかは各自の解釈に任せるとしても、現在では「青い山」が象徴し得る意味内容をどれだけの者が持ち得るか,またどれだけの意味付けが可能なのか。私には、山頭火が青い山に向かって逃げているようにしか思われれない。それは追立らているようでもあり、引き寄せられているようでもある。果てしのない模索として俳句の道を重ね合せ「青い山」と同一線上に置くのはもっともらしくわかり易いがそれだけはあるまい。

 昨今では 分け入っても 分け入っても どこかしら  でもブルーマウンテン というところではないのか。

                                              2014 5/21

  5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15