両忘の時‐ある日、その時‐

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126.弱きをくじき、強きにこびる時代

 何とも情けない時代である。「忖度」(そんたく)などと言ってみたところで、現実的には弱きをくじき、強きにこびているようなものであろう。弱きを助け、強きをくじくという反骨の精神を持っていた男はかつて「俺のような人間がいなくなったら日本はだめになる」と言っていたが、実際、今ではどの分野でもそのような人間を探すのに苦労するような状態で、どこを見ても肩書だけの忖度上手の弱きをくじき、強きにこびる者ばかり、実際に日本はダメになっている。因みに、巷間から聞こえてくる声なき声はミサイルがどうのこうのなどより、このまま行けば「東京オリンピックの後は暴動が起きるんじゃないか」という思いがごく自然に出てくるほど経済的にも切迫している。

                                 2018 1/11

125.つれづれに一言で片付ければ(11)11件(148件)

〇お笑い芸人とは、他人を笑わせるのではなく自分が笑う「芸人」のことを言うようである。

 

〇サイコパスに認知症では、手が付けられまい。それが一国の舵取りという恐ろしさ、いつ沈没してもおかしくない。それと100%同形という御仁の国も同様であろう。

 

〇「はれのひ」、「うつくしいひ」、「うつくしいにほん」等々、今時小中学生でもつかわないこんな修飾語をつけた言葉をつかうのは詐欺師の類しかいまい。まったく画一的な独創性のない誰のための成人式かわからないような式はやめた方がいい。

 

〇ただ目立ちたいだけの人々、何ともみっともない。その醜態、見透かされているのがわからないのであろう。

 

〇「政を為すは人にあり」とはそもそもが有り難き事なり。大方の様は、政とは欺くことと見つけたりというのが実情であろう。殊に昨今の詐欺が群れをなして地を這う様に驚き呆れている。詐欺の中の詐欺師はよく見れば舌の先も二枚どころか三枚四枚に長く別れ、その声も内容の軽重にかかわらず途方もなく軽い。

 その他でもそのような例には枚挙にいとまがないが、最近でも「経済評論家」と称する権力におもねる相場師、香具師、占い師の類ではないかと思われる者がいたが、無知で無恥な御仁に限って講釈好きなものである。しかし、「上」から「下」まで、ウンコの山である。我々はウンコの山に囲まれているようで、取りあえずはウンコの山に押しつぶされないように気をつけるしかないが、世の中には酔狂な御仁もいるようでその巨大なウンコの山を裏で支えているから、あいた口もふさがる暇がない。

                                                                                                                                          1/10

〇以前にも言ったことだが、このままでは馬鹿笑いの内に庶民の「小さな幸せ」は幕を閉じることになりかねない。大手マスメディアの劣化のほどを見れば一事が万事であろう。世界の情勢に反して夢と希望ばかりを取り上げること自体がおぞましいのである。そのことで逆にそのおぞましい内実が丸見えになってくる。すなわち、大ぼらということである。大衆にほらを吹くなら大ぼらの方が効き目があると言ったのはヒトラーである。いつでもヒトラーは親しげにあなたのそばに寄り添って来ることを忘れてはならない。

  現在、ヒトラーの亡霊は世界中を彷徨っているようである。ゴーストからスピリットへさらにそれに「具体的な形」を与えてしまうのは人間の際限なき欲望である。言い換えれば「経済的発展」の飽くことなき希求そのものを問題視しなければならない時代なのである。金融資本主義などの過熱がもたらすもの、それは「人間」そのものの破たんでもある。自分たちだけが良ければいい、自分たちが「第一」、自分たちだけが助かればいいなどという発想自体には希望も夢も、安定、平安さえ入り込む余地はなく無縁なものである。

                                                                                                                                          1/6

 

〇「格好をつけない」のも「恰好」の内、恰好を付けない「振り」である。もし徹頭徹尾格好を付けない「本音」で生きている者がいたとするなら遅かれ早かれ自己解体は避けられないだろう。実際は「本音」などというのも多くは「加工」されているのである。人間は本来的に欺瞞的である。だから、それにいかに向き合うかでその価値が決まるだけなのである。恰好を付ける付けない、「自然体」云々、「本音」論議などどうでもいいのである。人間と人間の違いは、人間と動物ほどの違いもあると言った人もいたが、それはある面の実情である。

 

〇「朝までテレビ」の司会者は相変わらずで、ジャーナリストでも何でもないこの男は、やはり単なる「電波芸者」と言われても仕方がない。その上、パネリストの平均的質が以前にもまして落ちている。その中で一番気になったのは、井上何某が言った「日本が攻められたらどうするんだ?」ということである。それに対する他のパネリストはまったく批判するどころか、改憲反対を唱えていたお笑い芸人に対して寄ってたかっての「あら捜し」と大人げない攻撃。これも一事が万事、日本が攻められたらなどという「仮定」には答えられないのが現政権の姿勢であろうが、それが「改憲」云々なのである。今さら「押し付け憲法論議」などは問題外、そんなことは憲法をいじくるまでもなく、法律に基づいた処理で済むことであろう。どちらにしてもこの手合いに改憲を任せたらすぐに「緊急事態条項」を盛り込み、乱用、独走は目に見えている。すなわちいつでも戦争ができるということになるのである。それが問題なのである。うどん屋の窯のような「言う」だけの言ったことに責任もとれないような者たちの話などいくらやっても無駄。こんな番組はまったく必要ない。特に田原では話にならない.。しかし、大学で何を教えているのかと思われるような教授が多過ぎる。

 まあ、製作費もない安手の深夜番組とみればその無内容さもお笑い草ということで終わりであるが、この番組自体がパロディ化できるだろう。

 

                                       2018 1/1

 〇戦争を知らない、想像力もない若い者たちに一体何を託すというのか。「自己否定」を繰り返して挙句の果てに何も得られなかったオヤジたち、いつまでも劣化し腐臭を放ち始めた「自己否定」に拘泥している場合ではなかろう。今何をすべきか、死する前に何をなすべきか、もはや安らかな死など望むべくもないことを知るべきである。

 そこかしこの神社に貼られている「国民の手でつくろう 美しい日本の憲法」というポスター、これはすべてウソである。言ってみれば、「我々」がつくる「美しい」日本の憲法に国民は従いなさいという全体主義国家建設のコピーなのである。

                                                                                                                                         12/27

〇存在の在り方自体が憲法違反といってもいいような人間の問題についてはまったく問題にもせず、まるで何事もなかったかの如くのマスメディア一般の姿勢そのものはとても先進国のレベルのものではない。そのことについても批判、問題提起どころか一行のコメントすらないというのはやはり異常である。

〇テレビは肝心なところはすべてに「ボカシ」がかけてあり、多くは無視、さらに問題点も「ピンボケ」である。そう思って見ていないと現実はまったく違うということになる。まさにオーウェルの「1984年」に近くなっているのが実情である。

                                            2017 12/25

124.つれづれに一言で片付ければ(10) 25件 (137件)

〇ほんとうに「オリンピック」、「リニア」など一体誰が必要としているのか、私などはまったく必要ないと思っているが、やはりそれで濡れ手で粟という者たちがいるのである。その彼らが一番必要としているだけなのである。それについてさらに具体的に根拠を挙げて「五輪とリニアは極道の米櫃(米びつ)」と指摘する者さえいる。さもありなんである。「世界の祭典」、「近未来新幹線」などと浮かれているとその付けを回されてしまうのは誰かを考えるべきであろう。「経済効果」?まだそんな言葉に踊らされているのかと思う。因みにJR東海の大ボス葛西敬之は日本会議所属の安倍晋三の財界応援団長を自任している人物だという。安倍ー葛西ースパーゼネコン。また同じ構図である。

                                      12/24

 

〇政権批判などではいい切れ味をみせる某タブロイド紙が日馬富士の暴行事件については一方的に相撲協会の立ち位置で、すなわち既得権益側の位置で連日まくし立てていることについては正直「大丈夫か?何かあるのか?」と言いたくもなる程のレベルの「汚点」である。これでは発行部数も落ちるであろう。

 連日とは、12/20日前後から翌2月中旬まで1か月半、「一方的」に相撲協会側に立った見るに堪えない内容であった。担当記者のオツムの具合は大丈夫か?この記事内容で他のすべてを貶めている。それとも、もともとこの程度のものなのか?(2018 2/某日)。どちらにしてもこのようなスタンスでは間違いなく読者は離れる。

 

〇「お笑い芸人」はほとんどが「狼」の類で、テレビに出るようになると首輪を付けられ「犬」になるというようなことを某若手の芸人が言っていたがそのとおりであろう。首輪の鎖はどこにつながっているかって、もはや言うだけ野暮。彼らの言動を信用するしないなどというレベルは問題外の話で、彼らの「空気を読む」仕方にも規準にも問題はある。言ってみれば、それは詐欺師の手練手管とさしたる違いはないということである。

                                      12/21

 

〇「公益財団法人」とは? 相撲協会もしかりであるが、とても「公益財団法人」などとは言えないものが多過ぎはしないか。どこかで政権政党とつながり政治的な動きをしないと成立し得ない内容の組織である。

 

〇安倍何某はお笑い芸人らと会食したそうだが、実際にテーブルに乘って食べられたのはお笑い芸人の方であろう。やがて骨までしゃぶられることになる。実は恐るべき会食なのである。

                                                                                                                                    12/17

〇現在、演劇などの舞台の観劇料は総じて5000円から10000円前後である。これでは生活に追われている一般客などは遠のくばかりであろう。税金に文化的な費用まで考える国などとは真逆な方向に進んでいる文化行政、そればかりか世界にバラマキ、社会保障費なども削減し軍需費に回す政権である、下手に文化レベル、民度などが高くなっては困るのであろう。

                                                                                                                                    12/15

 

〇A級戦犯の爺さまが身も心もアメリカに捧げて手に入れた命と地位、まったく同じ手法で辛うじて延命している政権であろう。アメリカの意のままに改憲というのは目に見えている。何が「押し付け憲法」か、今度はまた「押し付け改憲」ということに過ぎないであろう。それにもかかわらず、もっともらしい大言壮語の数々。日本の「首相」?「同盟国」?アメリカ合衆国日本州の州知事という役どころが一番似合っている。それにしても大統領を見つめる目は気持ち悪い程で、「普通」の「州知事」ではない。

 追記:この「州知事」様をチャーチル、ドゴールに比する酔狂な御仁がいるのだからこれまた恐れ入り谷の鬼子母神である。

〇「社会を斜めに構えて見る」?、そもそもまともに社会を見たことがあるのかと聞きたくもなる。何かイイカゲンな「若者」に媚びたようなことを言っているようにしか思われないのだが、もともと斜めにしか見られない者が斜めに見たところで何の変わり映えもしないであろう。むしろ展開の仕様のない我田引水的な限りなく縮小し続ける世界しか得られまい。

                                                                                                                                     12/9

〇神社関係者のそれも姉弟の「覇権争い」の刃傷沙汰で死者が出た。現在の神社関係の内実をよく表す象徴的な事件でもあり、さもありなんと思われる。さらに敷衍すれば、明確な哲理もない民間信仰の域を出ない「民族宗教」の類の限界をよく表している。「現世利益」的なものにしか目がいかないしだらなき結果である。

                                                                                                                                     12/8

〇何度も同じことを言うことになるが、相撲取りの暴行事件の連日の報道、それ以外に追及するものがないかのようである。視聴者をなめ切った姿勢である。

〇 恥を知らないというより何が恥なのかもわからない人々がゾロゾロとゾンビのようである。やはり「人間」は死んだのであろうか。

                                                                                                                                          12/6

〇「人づくり革命」、「幼児教育無償化」、「大学無償化」、一体どのような「教育」をするつもりなのか?教える側の質もかなり問題になるだろう。現政権が「人づくり革命」などと言い出すと何か薄気味悪いものを感じてしまうが、確かに「只より高いものはない」、というより「只より怖いものはない」というのがこの「人づくり革命」にはある。「革命」?従順なアンドロイドでも作るつもりなのか、少なくとも、発展的に未来を切り開く豊かな人材育成とは程遠い。相も変わらず言葉だけが滑っているだけなのである。滑るのは言葉だけではなさそうで、転ぶのも十八番のようである。しかし、そんなことを物ともしない、それこそが発展不能の反復回路しかないアンドロイドのようなのである。もはや「人間」の域にはいない「もの」としか見えない。

                                                                                                                                           12/5

〇この病的な「明るさ」、「軽さ」は何だろう。「闇」を見つめる気力も胆力もないから底なしの「闇」に飲み込まれて行くのである。「異常であること」がわからない異常さ。

                                       12/3

 

〇しかし、何かというとオリンピック、オリンピックと騒いでいるが、北朝鮮しだいではアメリカの出方しだいでは、それですべてはすっ飛んでしまうのである。そのようなこととは無関係に「寿ぐこと」や「オリンピック」などが成り立ち得るとでも思っているだろうか。この浮かれ、イカレ具合は一体何なのか。「圧力」をかけることしか「能がない」者たちが「他の問題」によってさらに突き動かされて限界点を超えればどうなるのか、当然のことが起こるだけである。

 ここで言っているオリンピックとはもちろん「東京オリンピック」のことであるが、来年早々行われるピョンヤン五輪にしてもチケットはほとんど売れず、出場辞退の有力選手も続出し、中止の声もあるという。そのような現状には一言も触れず、何かと言えば「ピョンヤン五輪」を「目指すこと」とカウントダウンばかりをしている報道ニュース、これもまた一事が万事である。

 

〇日馬富士の暴行事件、起こるべくして起こった問答無用の事件で、言い訳がましい弁解、それも柄にもない「礼節を教えるため」などというのは笑止千万。白鵬にしても土俵際での万歳三唱に至っては「心技体」云々の次元ではなく、この人たちの頭は大丈夫かと思わざるを得ない。貧困国からの出稼ぎ労働者がなりふり構わずがむしゃらに手に入れた地位に我を忘れた所業と捉えればそれまでのことであろうが、そこにはそもそも「心技体」などありようもないのである。特に「心」についてはその言動からすべてが現れている。言ってしまえば、彼らの「心」は欲望で埋め尽くされているだけで、それがもたらした結果の一つでしかないのである。実際、一つとして「自分の言葉」がないではないか。

 

〇記者の質問に対して「『仮定』については何も申し上げられない」と言うかの珍なるスポークスマン。それでは、自ら無能であると言っているようなものである。それでどうして人々の安全など守れるのか、実際には都合の悪い「仮定」については答えず、自分たちにとって都合のいい「仮定」は陰に陽にどんどん進めているというのが現状である。因みに、「検討している」、「あらゆることを想定して具体的に進めている」というのは何もやっていないということである。

 

〇「悪を描いた」?笑わせるな、所詮は「偽悪」の範疇のキッチュ(まがいもの)であろう。「悪を描いた」などと大言壮語するなら「絶対悪」を描いてみろ。相対的な「善悪」すらまともに描き切れない「偽悪と偽善」が現状なのである。その中で「偽悪」だけ取り出してもキッチュにならざるをえないのは当然である。キッチュ相手の金儲けと言ってしまえば、それまでだが、キッチュ文化を支え続けているという意味ではその罪は重い。キッチュがそれなりの面白い一面を見せていた時期はとうに過ぎているのである。

 

〇テレビは、今や北朝鮮の国営放送並みの「明るさ」、「力強さ」、しかし、中身が知れる「カラ元気」である。この「明るさ」、「元気」はやはり異様である。いくら臭い物に蓋をして明るく騒いでみたところで悪臭はもれているのである。その内に悪臭の本体が溢れ出すことは目に見えているが、その時になれば今度はそれについての「嗅覚異常」、「視覚異常」、「視野狭窄」などがまことしやかに取りざたされるのであろう。

                                       11/30

〇「国の覚悟」?「どのような国」のどのような「覚悟」なのか、まったくわからぬ。ただ極限の虚しさ。

〇「バカ!」、「バカ!」と言うのは余程気持ちがよいとみえる。「俺もバカだけど、バカが多過ぎる」などと何か言った気になっているが、何も言ったことにはなるまい。そして、当の本人は実はバカだとは思っていないというところがミソなのである。「何と言っても一番バカなのが、自分がバカじゃないと思っている奴だ」とは、何も今始まったことでもない、紀元前からそうなのである。要するにリテラシーの問題ということか。

 

〇信用できない最たるものの中に「政府発表」、そして「〇〇省認可」などもあるということだけは確かである。当然、「テレビで言っていた」、「新聞に書いてあった」ということなども、「事実」以外の「内容」を「そのまま」鵜呑みにすること自体がそれこそそのまま「アホの証明」ということにもなる。

                                       11/27

 

〇しかし、子供に「暴力はいけないよ」と言われる相撲取り、また「嘘つきは泥棒の始まり」などと言われてしまう「先生」、「長」、「大臣」などなど、こんな情けない大人たちが真顔で「教育云々」とは「頭の方は大丈夫か」と言いたくもなる。

                                       11/26

〇最近、ふと大橋巨泉の功罪について思うことがある。それは考えるという程のことではないが、巨泉以後もその亜流でしかない者たちが一億総白痴化に拍車をかけただけという負の方があまりにも強過ぎるように思われる。巨泉自身はその時代と共に「自由」をそれなりに満喫したであろうが、結果的に真摯に考える者たちを「排除する」ことになったということは否めない。「チャランポラン」、「無責任」、「イイカゲン」、「遊びの」の謳歌、「妙な生真面目さ」に対する一時的なアンチテーゼを突き付けたにせよ、凡夫は本来的に真面目にはなれない者たちである以上、限度を超えればもはや際限もなく堕ちるだけなのである。その隙を縫うようにカルトも雨後の筍のごとくで、今ではそのカルトが集まり渦を巻いて「暗雲」を作り出している。ケント・ギルバートなども巨泉の番組で顔を売ったオカシナ米国人タレントの一人であるが、最近の言動を見ていると、つい悪乗りもイイカゲンにしろと言いたくなるのである。

                                         11/25

 

〇政治屋の政治資金で自著爆買い、本屋べストセラーランキング狙い、よくあることである。それは何も政治屋に限らない。乗せられる方が単なるアホということになる。バックに「出版宗教」の類がつけばベストセラーランキングなどは容易いことである。こんな本がベストセラーと思うことがよくあるが実情はそんなところである。

 

〇連日の日馬富士暴行報道、今の日本には相撲取りの暴行報道しか報道するものがないかのようである。もっと大事なことがいくらでもあるであろうと思われるが、日本の「買われた」マスメディアとはこの程度なのである。日々あきれ返っていると同時に、また薄ら笑いを浮かべている者たちの顔が浮かび上がる。さらに、オリンピック、オリンピックと見世物に気を取られていると肝心のパンの方もいつの間にか削られることにもなろう。すでに巨額の血税を武器購入代金につぎ込んでいるものが社会保障など眼中にないのは一目瞭然。彼らの言葉は皮膚表皮のようにおそろしく軽い。トランプのツウィッターしかり、「ポチ」のツウィッターしかり。そのまま行けば世界は「軽く」壊れる。

                                2017  11/22

123.つれづれに一言で片付ければ(9)ー19件ー(112件)

〇真実のようなウソ、もっともらしいウソ、ウソをついていることすらわからないウソ、もはや逃げながらウソをつき続けるしか生き延びる手立てのないのない「自由」も「民主」もないチンケなファシストの集団である。彼らの唯一の「夢」は戦前回帰。改憲の意思表示は実質的に彼らに憲法をいじらせることになるのである。もしそうなれば一巻の終わりであろう。

 

〇「政治」、「宗教」が最終ビジネスだと思っている者たち、共通しているのは「人たらし」と「手の平返し」、またはその逆を装うこと。彼らに乗せられたら骨の髄になるまでということになる。

                                    11/19

〇「バカだ」の「アホだ」の、「死ね」などというのが「討論」などの場で飛び交っているのを目にするが、どちらもバカでもそれほど利口でもあるまい。要は、バカであるかどうかより、その人間の言動が信用できるかどうかなのである。信用できなければどのような巧言、美辞麗句、「心情」吐露、たとえ明晰であろうとも言うそばから言葉は溶解し始めるだけである。しかし、骨の髄までしゃぶり尽すのは何も「ヤクザ」だけではないということを実感として感じる昨今である。現在は札の付いてない「ヤクザ」の方が圧倒的に多いと思われるが、札が付いていないだけに怖い。見分けがつきにくいからである。

                                     11/18

〇加計学園獣医学部?こんなところで教える者、学ぶ者の神経を疑う。                  11/15

 

〇孤立しているのは日本だってこと、まだ見えない?どちらにしても、思い込みの行きつく先は悲惨だということである。 

 

〇東京新聞の望月衣塑子、室井佑月などのような女性が今後もどんどん出てきて活躍することが望ましいと同時にそのようなことが今や唯一の清涼剤、トニックにもなっている。彼女たちに宿った自由の女神に乾杯する。                                                                                                     11/13

 

〇マスメディアは相も変わらず安易な野党のあらさがし。言ってみれば、弱者いじめに終始しているのである。これではメディアが率先して「いじめ」を煽っているようなものであろう。今や政権批判はタブーとみえて、どこぞの国とさしたる違いはない。小賢しい自主規制などというものも、何も気付かせることなく無反省に虚偽を蔓延させると言う意味では罪深い。要するに、「白痴化」の常態化である。まともに政権批判もできない国とは一体どのような国なのか?主権が国民にはないのか、あるいは、あるように見せかけて国民を手玉に取り、主権を空洞化、虚無化させている国である。

 ゴルフも「やっている振り」、あらゆることが「振り」で埋め尽くされ、振りでないのは唯一保身と政権維持だけ。そのためには何でもありの、恥も矜持もないものたちが「日本、日本人」とかまびすしい。改めてIQを問題にしたくなるほどの低レベルで、運よく手に入れた「切り札」さえ相手の言いなりに差し出すありさまである。「平和憲法」などは最も有効に使える最後の切り札であろう、すなわち最後の「トランプ」(切り札)なのである。それをもっともらしい理屈を持ち出し、相手の言うがままの改憲を「自主」と称してするのだから目も当てられないオメデタサであるが、確信犯的とも言えるところがある。これこそが「国を売る者」、「国民に非ず」と言いうる者たちである。相手もさぞかしチョロイ奴だと思っていることであろう。武器も売れたし、「めでたし、めでたし」というところか。後は「人を差し出す」ことをいかに明文化させるかということである。

                                     11/7+11/9

〇老後のことを考えすぎて早死にする者、「健康が命より大切」な者、孤独を恐れるあまり不本意な集いに取り込まれ自分を見失って行く者、一緒に死んでくれる者などを求め生殺与奪を詐欺師に与えてしまう者、安易な新興宗教類にたやすく飲み込まれる者、「心の闇」、「社会の闇」などという陳腐な言葉で括ってみても何も見えてこない。「自由」とは何か、「個」の確立とは何か、すべてはその根本的な問いかけに関わる問題であろう。

                                                                                                                                     11/3

 

〇「保守化」、「右傾化」そこかしこで散見される言葉であるが、それほど中身はない。単なる「劣化」と言った方が適切である。やがて、その「結果」は出てくる。

「ごちゃ混ぜ」新興宗教並みのもっともらしい「教理」に乗せられた「戦前回帰」の発想そのものが「劣化」以外の何ものでもないことを知るべきであろう。またぞろ同じ過ちを犯そうというのか。他人の家に土足で入り込んで八紘一宇の名のもとに「進出」と言ったところで「思い込み」の世界以外では通用するはずもない。回帰幻想なるものはいつでも怪奇幻想となり怪奇現象を出現させる。そもそも明確な哲理も持たぬ一民族宗教を以て世界をその傘下に置こうなどという誇大妄想でしかないような「信仰心」に狂信者以外誰がついていくのか。とても世界の共感、了解など得られるはずもないのである。

                                                                                                                                11/1

〇何をどう言ってみても、「多様性」を認め合う方向でしか人類の展開はあり得ないということである。「こんな人たちには負けるわけにはいかない」、「排除します」、「宗派が違う」、「宗教が違う」ということだけで拒否、否定、排除では一歩も先には進めず、そこで終わりなのである。ただし、「ユダ」は多様性のレベルではなく「善悪」のレベルである。今回の選挙においても、結果的に「ユダ」と言われても仕方のない者がいたが、彼らはそれなりの自己弁明、謝罪をするがその「動き」、「在り方」そのものが「ユダ」なのである。それに対してはそれ相応の対処が必要になってくる。今回の選挙は、「ユダ」とその仲間たち、そして肝心な問題から目をそらさせ、北朝鮮危機をフル活用した主義主張も不明な何でもありの「集団」の謀略が功を奏したということであろう。主義主張も不明というのは、以下の点からでもそうなのである。そもそも米国隷属の国粋主義(ナショナリズム)など筋からいって在り様もなく、さらに関係がはっきりしている右翼組織などといったところで「純粋右翼」などとは程遠く、その講釈も糊塗、ねつ造の詭弁の域を出ない所詮は利害に終始するだけだからである。それでは「保守」なのかと言えば、そこには悪しき「現状維持」程度の意味しか見出せない、それを「保守」と言うにはあまりにもお粗末過ぎる。やはり戦後最長政権が「外道」とは歴史の皮肉と言わざるを得ないのである。

                                     10/28

 

〇やはり何も考えていない者が多いということであろう。要するに、痛い目にあわないとわからない、愛すべきものを失うまではわからないのである。そもそも愚民ばかりでは民主国家は成り立ちえない。今の状態では隷属独裁政治が一番お似合いであろう。隣国のことを批判するより自国を批判、心配すべきなのである。とにもかくにも、これで軍産複合体も一安心、電気屋も、鉄鋼屋、車屋も戦争に向けてまっしぐらというところであろうか。犠牲を強いられるのは、徹頭徹尾国民である。今、首に縄がかけられたというところであるが、その縄の感触すらわかるまい。それが愚民の愚民たる所以である。

                                    10/26

〇タケシなども所詮は、権力のこま犬、政権の中和剤の役割を果たしているだけであろう。実際、何か耳を傾けるものがあるのか?できの悪い中高生あたりが変に「納得」できる似非アフォリズム程度の内容であろう。この手のいわゆる「電波芸者」、「売文芸者」にはまったく興味はないが、妙に視角に入ってくればうるさくなるのである。しかし、バライティから出た政治屋などもしかり、ただ五月蠅いだけ。

 

〇「自民の『圧勝』(?)」、これで立憲民主党などが誕生していなかったらと思うとぞっとするものがある。この党の誕生は実は誰も想定し切れなかったことであろう。この国の現状はもはや「狂人」たちの支配する暗黒の帝国と言っても決して言い過ぎではない。そう見えないというのは自分の目が単なる節穴ということでしかないのである。それは露骨にそう見えないというだけのことで、彼らの止めどもない甘言と媚び、美辞麗句、糊塗、ねつ造、すり替えによって粉飾されているだけである。それにつられていつまでもへれへらしていると身ぐるみはがされて奈落の底であるが、それでも気付かないというのが実情のようだ。最近のテレビでも、視聴者の意見などとして「野党は酷すぎ、安倍総理にはやりたい事をしっかりと形にしてほしい」などというのがあったが、完全にマインドコントロール状態か、IQ(知能指数)がおそろしく低いのか、今まで何を見ていたのかと言いたくなるような「意見」である。このような「意見」を敢えて取り上げる必要などまったくないにもかかわらず取り上げるというのは何か意図があるのであろう。権力の集中を望み、批判勢力を否定する「白痴化された」視聴者の意見をあたかも「一般」として取り上げる側の責任、見識が大いに問題になるところである。まさに「偏向報道」である。民主主義社会における「偏向報道」とは権力批判、すなわち政権批判をしない、自主規制する報道のことである。

 本来、媚びる者はきわめて危険なものを持っているのである。(大衆に媚びるのは「ポピュラリズム」でポピュリズムではないという見解と同一)それは、詐術を弄することが骨の髄までしみ込んでしまった者たちでもある。その臆面のなさは常人には計り知れないものがあるので、何度も騙されるのであろう。その具体例も今回の選挙でいくつも見ることができた。それにしても・・・(どこまでも続く)

                                       10/24

 

〇豊富な地下資源を持っている国と、地下資源と言えばマグマくらいしかない国が馬鹿の一つ覚えのように「国を守る」と言う。米国と一緒になって戦うことが国を守ることなのか。そうでなくとも中国、米国などはすでに日本をスルーしているではないか。都合が悪くなれば簡単にはしごは外されることも読めない「同盟」などに「身も心も捧げる」のはやはり無能としか言いようがない。これでは日本の独自性もへったくれもないということである。看板だけは掛け替えないことを唯一自慢しているような政党が様々な視点から保守でも右派でもないと言われるのは当然で、言ってみれば、実態不明の組織なのである。こんなものにいつまでも振り回されていては先はない。

                                       10/21                                              

〇衆議院議員選挙について「悩む若者」とは、一見もっともらしいがマスメディアに乗せられた単なる「チャラオとチャラコ」であろう。現時点では明々白々なのである。「肉屋を支持するブタ」にならないようにすればいいだけのこと。

 

〇「首相最後の訴え」?この人、今まで何を訴えていた?何か盛んにその場限りの意味もない「音声」を発していたが、それは「ダークサイド」の吠え声としてしか受け止めることができなかった。「ダークサイド」の手先も手の込んだことをするが、所詮は小泉の二番煎じある。しかし、これほどの偽り人も稀である。よーく見据えておくべきである。それは、保守でも、右翼でもなく、やはり「ダークサイド」としか言いようがないのである。筋の通った正統派保守なら、純粋右翼なら怒り心頭になって当然であろう。この「ダークサイド」の者たちに自分の人生をムチャクチャにされたくなければやることは一つ。当選させないことである。

                                     10/20

 

〇「追い越されて、頭に来た」など、「キレル」者たちが頻繁に報道されているが、彼らだけではなく何かというとすぐに「キレル」者たち、毛髪分析でもするとアルミニュウム、鉛などが出てきそうな、さらには前頭葉が委縮しているのではないかと思われる者たちが多い。実際、彼らは食の内容も危うい、思考訓練もままならぬ貧困層の者であろう。このような者たちが時と場合によっては例えば「軍事政権」下では「先兵」として利用されるのであろうが、彼らはすぐに暴走し、何をするか分かったものではないことは容易にわかる。大島渚の「戦場のメリークリスマス」のタケシの日本兵の姿、あれも一つの具体例であるが、実際はそれどころではない。

                                          10/15

 因みに、「追い越されて、頭に来た」という相手の車はポルシェでもランボルギーニでもない。そう、現実的なあらゆる争いの多くは常に「貧者同士」の争いなのである。

                                        

〇小泉親子の連立方程式、この解はすでに出ていて未知数は存在しない。解も出ていてそれ以上ではあり得ない者に何を期待しているのか。これでは「IQの低いB層」をターゲットにした更新する必要もない陳腐な詐術がいまだに有効ということを証明しているようなものである。何度騙されれば気が済むのか、騙されるのがいやであれば拒否するしか手はないのである。

                                      10/14

122.つれづれに一言で片付ければ (8)ー18件ー(93件)

〇実質的に国民の20%程度の支持しかない者たちが政権を握り勝手放題。それを許しているのも国民の大半を占める無党派層の責任である。、しかし、彼らの多くは薬物依存のように自堕落で、現実逃避の幼稚さで絡め取られ現状認識が欠如しているか、甘すぎる。無党派層をそのような状態にして置くのも計算の上である。無党派の動きをいかに封じ込めるか、それは今に始まったことではなく戦略として常に研究され続けているのである。要するに、罠にはまった無党派層は現政権の補完層に過ぎないのである。だから20%の支持だけでやりたい放題なのである。しかし、よくこんな安っぽいシナリオに手もなく騙されるものである。これではやはり詐欺師の天下であろう。IQが低すぎると言われても仕方あるまい。

                                     10/14

 

〇「巧言令色すくなし仁」とは昔からよく言われてきたことであるが、今でもそのまま通用することである。口先だけはこの上なくうまく、他人の気に入るような表情で媚びを売る者、このような人間に最も欠けているのが「思いやり」ということを忘れないことである。詐欺師は、常に金に困ったと言いながら、おためごかしを言うものである。増税と社会保障、教育無料化の関係、少なくとも現政権の「彼ら」が言う限りそれは絶対にウソである。実際、社会保障にしてもその使い道はまったく不明瞭である。散々海外で金をバラマキ、国の財産を私物化し、米国の言うがままの防衛費の拡大、そのすべてをまた国民に背負わせる。これでまた騙される国民とは?もはや自業自得としか言いようがない。

                                     10/11

 

〇「保守化」?、それでは「保守」とは何か?「保守」の明確な意味もわかっていないような者が勝手なことを言っているのでは困る。これもまた以前取り上げたことでもあるが、単に「現状維持」を「保守」に置き換えただけなら、とんでもない誤りである。「若者の保守化」?これで何を言いたいのかと思われるが、若者「一般」がしだらもない現状維持の傾向(これでは落ちるだけ)にあるという意味ならわからなくもない。とにかく、わずかな抗議、批判にびくつきながら逃げ回るように街頭演説をして訳のわからぬことをくだくだしゃべっている首相を「保守」というのなら、現在「保守」は存在しないか、死滅しているのである。この程度で逃げ回る者を信用しろと言う方がどう見てもオカシイのである。いざとなればいの一番に逃げ出すだろう。

                                                                                                                                    10/9

 

〇日本の記者クラブなどは世界の珍現象なのであろう。「オフレコ取材」ができなくなるから政府の顔色をうかがうなど、政府のパシリかと言いたくもなる。政府の肝心な「内部事情」など誰が話すか、裏話、オフレコの話の実態などたかが知れているのである。そのような話を流すことで逆にいいようにコントロールされることの方が多いのが実情であろう。裏事情を知っているのがジャーナリストと言わんばかりに、したり顔で話しているおバカな(ポチのポチか?)ジャーナリストを見かけるが、それは単なる政府のメッセンジャーに過ぎないということでもある。さも大それたことを知っているかのような素振りで持って回った言い方をするが、それ程のこともないことがすぐにわかる。そこに真実、事実がなど隠されていることはほとんどないと言ってもよいだろう。「ぶっちゃけた」話など聞かされたところでどうにもならないのである。「言ったこと」、「やったこと」以外には何もないのであるが、場合によっては「言ったこと」も、「やったこと」もないことにしようとするのだから「オフレコの話」などに意味のありようがない。「ないもの」に振り回されているとは「ジャーナリスト」としては悲劇ではあるが、「メッセンジャー」であればそれは日常のことで済まされる。最近では見世物興行師のような者まで「ジャーナリスト」というから一行三文の報道屋程度に見て置くのが一番適当であろう。

 

 記者たちよ!クラブなんか作って集っていないでやることやれよ!「日本記者クラブ」、何か日本以外にもありそうな名称であるが、先進国でこんなクラブは存在しないのである。これもガラパゴス記者クラブとした方がより正確であろう。

 

 因みに、政治屋とつながれば株などで儲けることも可能であろう。餌につられた記者クラブじゃ突っ込みようはあるまい。だから、しだらもない慣れ合い会見なのである。早急に解体すべき。単なる政府見解の垂れ流しなど聞いてどうするのか。それも「アベ・シンドローム」の感染者ばかりじゃ話にもならないのである。

                                       10/7

 

〇私は芥川賞作品などここ30年近く読んだことがない。読みたいとも思わないからである。「本屋大賞」に至っては敢えて言う必要もない。どうもノーベル文学賞にしても辞退するくらいの作家にしか興味を持たないようである。日本では、スポーツ選手の金メダルのノリで村上春樹がどうのこうの騒いでいるが、バカバカしいの一言である。村上の読者も、もしそのようなことを期待する程度のものしか持ち合わせていないのならそれまでのことであろう。要するに、インテリジェンスと問題意識の深みに関わることである。かたや、カズオ・イシグロには作家として必要不可欠な書く必然性と問題意識、インテリジェンスが具わっている。ノーベル文学賞を受賞したとかしないとかということより真に作家と呼べる作家であると思われる。現在の日本では、売文業者ばかりでこのような真に作家と言い得る者は皆無に近いと思っている。ノーベル賞云々より、辛うじてライトノベルと似非文化に慣らされた頭でどこまでついていけるのか、自らの置かれた「位置」を考えた方がよかろう。

                                    10/6

 〇「希望」「幸福」「美しい日本」・・・こんな言葉を前面に出さざるを得ないというのは何もないという証左なのである。このような言葉を遣うところは危険であるということは以前にも言ったことがある。要するに、希望がない、幸福ではない、汚れているという裏返しに過ぎないのである。希望はいつでも奇望となり、危望となる。幸福も同様、やがて荒福となったかと思うと叩福(こうふく)にもなる。それはあるかないかわからぬものにすがるからである。すべては現状を直視するところから始めねばならぬ。さもなければ何度でも詐欺師の餌食になるだけである。ただ愚かでしかないものを愚直というのも詐欺師の詐欺師たるゆえんである。

 

〇西部邁が「安倍首相は『真の保守』ではない」として、「保守」とは何かについて検証し、現在の「保守」の意味を取り違えていることに警鐘を鳴らしていたことを知って(10/3 ダイヤモンドオンライン)わが意を得たりと思っている。まさか西部邁とある意味でも見解が一致するとは思ってもみなかった。

 

〇「リベラル派」? 一体誰のことを言っているのかと思ったが、 「彼ら」のことを言っているのなら、いつからリベラル派になったのか?もともと彼らはリベラルでも、リベラル派でもない。リベラルという意味をもう一度検証する必要があろう。もっとも、自由と民主とまったく相いれない者たちのグループを自由民主と称するのと同様の政治用語というのならわからぬもないが、今この言葉をあえて遣うのは「無党派層」を考えてのことであろう。「リベラル派の排除」という使い方でさも反民主主義的イメージを作り無党派層の分断、切り離しを「謀る」。しかし、その謀り事に反してリベラル派も際立ってくる可能性も出てくる。現在は真の保守がいないと同時に対抗勢力もいないということを明確に抑えて置く必要があろう。まともな保守がいないから対抗勢力も育たないのである。現政権は表向きは「政治の真似事」をしているが、内実は「烏合の衆」と言うより「詐欺師の衆」と見る方が妥当であろう。このような集団に対しては今までの「革新勢力」などというコンセプトでは対抗できないのである。その場限りのすり替え、虚言、甘言は日常茶飯事で容易にかわされてしまう。明確に物事を言う保守と同時にその対抗勢力としてリベラル派がその位置を占めるというのが健全な本来の在り方でもあろう。そうでなければいつまでもその場限りの言い抜け集団に牛耳られ、何をされてもわからない半ば認知症状態のまま生きざるを得なくなる。現政権は保守でも何でもないことを明確に抑えて置く必要があろう。彼らの訴えるすべてに対して、「それじゃお前は何をした」、「何を偉そうに恰好つけているのか」、「それはお前の事だろう」、「詐欺師の世迷言」と大なり小なり多くの者がそのように感じているのである。一寸先のことさえ実は誰もわからない、わかったようなことを言っているのは一番危ない。今、ほんとうに感じていることだけを頼りに御用の筋の「電波芸者」たちのもっともらしい文言に乘せられずに判断することである。このような状況では「デマ」も活況を呈するので細心の注意が必要であろう。彼らがいかに取り繕ってみても、彼らの国会での醜態、醜悪なやり取りを決して忘れてはならない。あれがすべてで、今後も何をやらせても一事が万事であることは間違いないのである。

 因みに、「保守対保守」という構図を示しているところがあったが、現政権は保守でも何でもない。まず保守を明確化させるところから始めるべきであろう。それと同時に「リベラル派」も存在意義が際立ってくる。「詐欺師の集団」に対抗し得る「リベラル派」などは在り様がない。だから国民の「受け皿」なるもの自体が形成されないのである。たとえ作られてもがたがたでひび割れているということになる。言ってみれば、何でもありの詐欺師の「手法」が「リベラル派」を浮かび上がらせないのである。すべてに関して明確な言語を避け、それに代わって根も葉もない感情的言語ばかりが遣われる。曖昧言語にならされるということは思考回路も曖昧になっていくのである。結局、焦点はぼやけ、何も進展せず、同一地点を回転するばかりである。時系列的に着実に進展するのは情報を遮断された国民不在の「独裁」体制だけと言うことになる。

                                      9/30

 

 

〇高齢者の自動車事故を頻繁に報道するメディア、それによって実際は高齢者よりも25歳以下の者の方が事故発生件数は高いのであるが、客観的な数値より感情的なものが優先され、その挙句に「高齢者から免許を取り上げろ」ということになる。そして、それを根拠に政策が決まってしまうという何とも不可思議な国なのである。これは何も高齢者の自動車事故に限らない日本の実情である。繰り返されるメディアの報道を見て「高齢者から免許を取り上げろ」と一瞬でも思った者は、いつの間にか現状とは反したことに向けられコントロールされている恐ろしさを知るべきである。

 

〇政権担当者のメッセージはいつまでも無言で垂れ流し、国民の疑問でもある野党の発言、動きに対してはもっともらしい疑問と批判を浴びせるマスメディア、どう見ても狂っている。逆であろう。普通の感覚、常識を持っている者ならこの政権に「義」がないと思うのが当然なのである。そうでないと言う者はその不整合さそのものをいやが上にも露呈させざるを得まい。後はいつもの糊塗、ねつ造、すり替え、虚言の繰り返しである。

                                                                                                                                      9/29 

〇「はしたない解散」とは言い得て妙。「大義」云々の話ではない。「国難突破解散」とは笑止の沙汰。「疑惑突破解散」と言った方がよいだろう。何度でも言うが、その美辞麗句とは裏腹に何でもあり、何でもする者たちである。ねつ造、糊塗、すり替え、隠ぺい、嘘、でっち上げは日常茶飯事で、国民はだます対象でしかない者たち。彼らの言っていることを真に受けること自体が問題なのである。100%虚言しか言わない者がこの期に及んで何を恰好をつけているのかと思われる。四の五の言わず早く消え去るべきであろう。みっともないの一言。保守とは名ばかりで、日本の美意識すら理解できないとみえる。私利私欲に目がくらむとここまでくるものだと人生の教訓にさえなる事例である。

                                                                                                                       9/26

〇北さん、トラさん、シンさんの三バカトリオがやたらと「売れている」らしい。巨大スポンサーはMICの1「社」のみ、すなわち軍産複合体である。馬鹿笑いしている内に世界の幕が下りないことを願うが、抑えがきかない者たちだけに弾み、勢い、ミスキックが怖い。

 

〇解散について「総理の専権事項」などと臆面もなく言う者たちが舵取りしているのである。このままでは間もなく座礁であろう。知的レベルも見るも無残、狂っているのかアホなのか、もう一回基礎から勉強し直した方がいいような者が権謀術数と根回しだけで偉そうに仕切っているのであるから最悪である。これを許しているは誰か?

再度問う、「総理の専権事項」とやらを明確に説明してみよ。どういう解釈をしているのか。歪曲以外の何ものでもない。大学で肝心なところをろくに勉強もせず世事ばかりを身に付けた結果であろう。

                                                                                                                     9/25

〇無党派層、特にそれを根拠に棄権する層とは一見恰好がよさそうであるが、単にイカサマ師、魑魅魍魎たちの「罠」にまんまとハマっている者たちということに過ぎない。言ってみれば、イカサマ師の補完層なのである。このままいつまでもイカサマ師たちを闊歩させていては、いつの間にか素っ裸で逆さづりになっているということにもなりかねないのである。

                                                                                                                        9/24

〇「息をするようにウソをつく」とは私がこのサイトで遣った表現でもあるが、100%口から出まかせばかりの「御仁」の映像、文言を垂れ流すマスメディアとは改めて一体何なのであろうか?まったく意味のないというより、垂れ流される内容に吐き気さえ催す始末である。

 

〇普通であること。「それは変だ」、「それはオカシイ」と思えること、それが唯一の国民の武器であろう。どのように言いくるめても嘘はウソ、変ものはオカシイのである。「普通であること」がオカシイという世間体を作り上げることが「彼ら」の主な目的なのである。

                                                                                                                             9/23 

〇「電通」などの実態は、やはり下層労働者の集団なのだと思わざるを得ない。さらに言えば、基本的に権力に奉仕する「走狗」の集まりといってもよいだろう。総じて、「大手企業」などに勤めてる者たちの世間体を気にした空疎な内実は人間の領域を逸脱した、それこそ「鬼」の領域に足を踏み入れることで辛うじて維持されているのであろう。「働き方改革」、「人づくり改革」、「教育無料化」などでさらにこの悲惨な実態を麻痺させ常態化させるするつもりなのである。スマホのゲームに取りつかれた「もの」なども、どう見てもヒューマノイドにしか見えない。一つの様態がすべての様態で、現実的には足元も前方も見ていないのである。 

                                                                                                                            9/22

〇「森友、加計学園問題」を「小さな問題」という国政担当者、つい「オツム」の方は大丈夫かと思ってしまうが、この手の輩が実に多い。これが根本姿勢で、国民など騙す対象としか見ていない証左である。ついどこの選挙区かと思ってしまう。

                                                                                                                             9/18

121.He's nothing but their puppet

「彼」は、彼らの操り人形に過ぎない、そんな思いがよぎることが多い昨今

2013年6月27日に書いた「テンポルバートのギニョール」という詩を思い出した。

 マリオネットの長い糸を手繰り寄せると、無数のギニョールが群がっていた。その無数の手の本体は「千の手を持つ複合体」、すなわち、MICである。MICは、飽くまで複合体で、単体としての具象性、形状をそなえていないので現実的には見えにくいのであるが、見ようと思えば日常レベルで身近にその一端を見ることが可能である。

 

※MIC:Military-Industry-Complex

 

                               2017 9/15

 

120.つれづれに一言で片付ければ(7)ー18件ー

〇議員のスキャンダル、脇が甘いどころか全身がたるんでいるのであろう。それにしてもである、何と周囲の脆弱なことよ。相手は魑魅魍魎の集団で、何でもありということを忘れている。潰す機会を虎視眈々と狙っているのである。こうなれば後はスキャンダル屋の餌食である。これで笑っているのが真「犯人」ということになる。この魑魅魍魎の集団は一方ではまたぞろ「異次元の圧力」などという訳のわからぬ空疎な「目くらまし」をぶち上げている。そこには当然、数学的意味も物理的意味もない。そうかといって、ものの考え方、立場の異なったという意味で遣われる「異次元」でもない。この「異次元」は非日常空間の意味で遣っているのである。すなわち、「異次元の圧力」とは具体的には非日常空間そのものである「武力行使による圧力」ということに置き換わるのである。戦闘、戦争は非日常空間という意味で「異次元」なのである。これでまた喜ぶのは、軍産複合体すなわち死の商人とそのオコボレにあずかる者たちだけ、そして「もっともらしき義」に煽られその気になっている者たちがバカを見るだけということになる。

                                      9/6   

〇ヒトラー云々然り、「言葉尻をとらえて」、「失言」などというレベルではあるまい。こんなことを許しているから文化、教養レベルまで疑われるのである。この失言内容にすべては現れている。いつまでも詐欺師の群れに対して、カモがネギ背負って鍋まで持って行くようなことを繰り返しているから詐欺師が闊歩し続けるということである。騙される方も生き方のスタンスが甘いのであろう。

 

〇いまだに「左翼系メディア」がどうのこうのと言って、何やら大した内容もないことをまくし立てている御仁がいるようであるが、そもそも「左翼系メディア」などどこに存在するのか?この御仁が言っている程度のものが「左翼系メディア」なら自由な言論活動など成り立つまい。この手の御仁とは、例外なく軍事独裁政権が好みである。軍産複合体のパシリとそれに巻き込まれる者たちがいることもいつものことである。要は、「冷静でいる」こと。できれば、「冷徹である」こと。

                                       9/1  

〇余程ナチスが身に染みていると見える、またナチス云々である。この麻生何某は家系を辿るとやはりナチスと「関わり」があったとしても不思議ではない末裔である。

※興味のある方は調べてみるとよいと思う。マスメディアではほとんど取り上げられていない。

                                       8/30                                                                             

〇「議員は悪いことはしないだろう」などという発想そのものがおかしい。そもそも議員を「先生」などと呼ぶこと自体が奇妙奇天烈なのである。彼らは多くの者に尽くすシモベである。だからこそ政治主導も正当化されるのであるが、そうでなければ「すべては」否定されてしかるべきなのである。

                                                                                                                                            8/28

〇早速、政道とは欺くことと見つけたりの四人衆の下卑た馬鹿笑いの写真が載っていた。彼らの笑いと庶民の笑いは常に逆比例していることをゆめゆめ忘れてはならない。どう見ても、薄の穂にも怖じる落武者の影はない、やはり後は野となれ山となれの日本を食い物にしてきた輩であろう。

                                                                                                                                             8/27

〇オワコンが オワコン呼んで 空騒ぎ  ー驚き桃の木山椒の木のテレビの痴態ー

 〇総じて、政治家とは一瞬たりとも目を離してはいけない者たちなのである。いわんや彼らに任せるなどとはとんでもない思い違い、勘違いも甚だしい。それでは命知らずな極楽蜻蛉の類と同様である。実際、政道とは欺くことと見つけたりと言わんばかりの者たちで溢れているではないか。

 

〇メディア、専門筋らしき者たちが何だかんだとどのようなことを言ったところで判断するのは自分自身であることを思い知った方が賢明であろう。彼らの言うがまま、受け売りでは話にならない。

 

〇世は軽重浮薄が趨勢のようである。ライトノベルにライトライター、何かというと「〇〇系」などとしたり顔で分類して気の利いたようなこと言っているつもりの薄「理」多売の売文業者の横行もすさまじい。電通、博報堂あたりのコピーライターの底の割れたコピーに踊らされるのもいつもの通りである。これではすぐに燃え尽きるのは道理。すでに燃え尽きている者が粉飾しようのないものを嘘と「そらし」でカバーしようとするからである。

 

〇弾道ミサイル発射想定避難訓練、見れば確かに世界の物笑いの種である。ほんとうに頭の方は大丈夫かと聞きたくなる。やっていることは「国民を守る」と言って竹やり持たせて国民を盾にした者たちと大して違いはあるまい。これで米国の言いなりのミサイル購入で税金は防衛費に消えるということを認めさせようとしているのであろう。戦争屋のスピーカー、煽り屋の類のもっともらしい御託がかまびすしく、それを後押しする。やはり、非を非として教訓化できない者は何度でも同じことをするものである。何度も過ちを犯す者を愚者といい、自ら明日を閉じるのである。

                                   8/12

 

〇「戦場のピクニック」、アラバールとは無関係だが、何でも冗談にする愚かさと、心にカビを生じた凡庸さにとって、そして己の無知を知らない者にとっては、戦場もピクニックと同様、さしたる変わりはないのであろう。どこを見ても、ポスト不条理劇の出演者には事欠かないのが現状である。

                                                                                                                                        

〇夏祭りの時期となったが、なぜか「阿波踊り」がそこかしこでやられている。その土地の特殊性もなく、その必然性もない「阿波踊り」で町おこしなどとはあまりにも安易すぎる。夏の風物詩も徳島の阿保踊りばかりというのでは知恵も風情もあるまい。

                                                                                                                                          

〇「答弁は差し控えさせていただきまます」、「記憶にはありません」、「廃棄しました」・・・こんな神経が2,3本抜けているような、認知障害の責任能力のない者に、あるいはこれで通る、許されると思っている者に今後どう向き合うか。自ずと答えは出てくるであろう。まず「居場所」を与えないこと、追及し続けること。

 

〇電気自動車の普及が原発容認の方向に向かうのではないかという予感はかなり前からあった。最近のジャーナリストの指摘の通り、具体的な企業の動きを見ても「すべては仕組まれ」ているとしか思われない。やはりこの「クリーン」もかなり危うい。

                                                                                                                                                  8/8

〇よくよく見ていると、やはり「人間」の範疇にはいない「人間」という名称の「生き物」である。ホモ・サピエンスなどという名称ではもはや括れない領域にいる。「人間」というコンセプトから完全に外れてしまっているのである。当然、「日本人」というコンセプトからも本質的にズレている。

                                                                                                                                                  8/6

〇「前へ進める」、「前進する」、ほんとうに何にもわかっていない。立っているところは崖っぷちである。前に進んだら崖から落ちるより他に道はないであろう。言語はますます幼稚化し、空回りもはなはだしくなってきている。それは当然、頭脳回路ともリンクしているのである。平気で裏切るというより、幼稚すぎて裏切り行為そのものですら認知できないのではないかとさえ思われる。

 

〇何だかんだと言っても安倍ご一同様、これで何かやってくれると思う方が危うい。疑惑についても解決する方向で一歩も進むことはあるまい。むしろ、時の経過とともにまたぞろ「陰謀論」、確実にあることをないことにするという意味の「風評被害」の類似コンセプトの類が出てきて、「事」を中和させ「事」自体があたかも実はなかったかのごとくの「流れ」を作り出す。

                                2017 8/3   

 

119.フェイクニュースと騒ぐ者とは

 「フェイクスニュース、フェイク、フェイク」と一番騒がしいのがトランプである。そのターゲットはCNN、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストなどであるが、CNNは逆に視聴者を増やし、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストなども読者を増やしているという。何かと言うと「フェイクニュース」と騒ぐ者たちをよく見ていると、CNNの社長がトランプに対して言っているように、それは「本当のフェイクではなく、自分の気に入らない報道や考えを指している」だけとしか思えないのである。私に言わせれば、「存在そのもの」がフェイクではないかと思われるトランプような人物が、発信された内容について吟味、検証批判することはまったく考えられず、意に反する内容をすべてフェイクという言葉で神経的に括り、頻繁に繰り返すことでその内容自体をも変色、変質さえ「フェイクであること」自体を「事実化」しようとしているだけとしか思われないのである。

 要するに、我々には、彼らの脳髄をわしづかみにして、その細胞レベルに至るまでチェックし得る観察力が必要なのである。最近では、金の流れもすぐにわかるようなもっともらしい情報サイトが我こそ正論とばかりに雨後の筍状態である。ますます取捨選択能力が問われてくるが、余程のアホでもない限りその真贋、真偽の見分け方は実は容易なのである。

                                           2017 7/27

118.つれづれに一言で片付ければ(6)ー13件ー

〇トラスターなどの嘘発見器にでもかけたいような人間ばかりであるが、かければすぐに針が振り切れるだろうと思われる。それは見ていてもよくわかる。これでは証人喚問しかない。それを拒否することは自ら嘘を認めることでもある。それにしても首相以下、和泉洋人補佐官、加戸守行前愛媛県知事、山本幸三、等々、ウソで塗り固めるしか生き延びられないとはみっともない情けない人生である。

「記憶にありません」、「記録にありません」こんな嘘を言い続けて国税庁長官、これは国民にとっても最悪である。地位を得るとはいかに恥知らずになるかということでもあるということを確認しておくべきであろう。

                                      7/25

〇テレビは限られたもの以外はめったに見ないが、たまたま放置されたテレビからけたたましい声とともに飛び出してくるお笑い芸人、タレントのバライティ番組は、狂気の沙汰そのもので、精神病棟を彷彿とさせる。何がおかしいのか始終笑っている「笑い」は、笑いというより「引きつり」に近いもので、さしたる理由もなく所在なさゆえに群がる中毒患者を相手にしているようだ。チャンネルを変えれば、今度は何もかもアニメ化してしまう吹き替え版の外国映画。視聴率だけを考えているにしてもポイントがズレ過ぎている。                      

                                                                                                                                                7/22

〇支持率低下、これも至極当然。むしろ遅すぎる低下であろう。ここまで悪臭腐臭ふんぷんではもう手が付けられまい。すでに腐っているのであるから何をどのようにしようと腐る一方で、悪臭は常に漏れ出し、決して元に戻ることはない。この期に及んでこれである。みっともないの一言。主権者も彼らのことは決して忘れずに二度と登場させないことである。国民のためにならぬ腐臭ばかりが鼻につく何がベテランなのかわからぬような「ベテラン議員」、軽佻浮薄な者などは税金の無駄。

 

〇「いちいち確認しない」、「すべての資料は破棄した」、「記憶にありません」など、これは、国民の疑問といってもよい質疑に対する答弁であった。世の中これで通るのか?

 

〇「煮え湯を飲まされても」、「喉が焼けても耐えられる」と言ったという為政者に対して「偉いな」という反応、何気ない異常さに驚きあきれる。師匠同様、言葉だけに酔っている節もあるが、それは平然と嘘もつけるということである。敢えて言えば、そのような場合は、耐えること自体が異常で、自死するか辞めるのが正常な行為である。

                                                                                                                             7/14

〇認知症の方々を相手に成り立っているような政党が偉そうなことを言うなというところであろう。

ベストメンバー(?)で、原点(?)に立ち戻る、共に不可能。そういう問題ではない。

 

〇差別主義、差別主義者とは余程自分自身に自信が持てないのであろう。他者をおとしめ、差別することでしか自分自身を確認もできず、浮かび上がれないのであるから何とも情けない。己自身から何一つ展開できないのである。ヒステリックになればなるほどお里も知れるというところであろうか。

                                                                                                                             7/13

〇オレオレ作家にオレオレ首相、オレオレ大臣、オレオレタレント、オレオレ元知事、オレオレ評論家、「オレオレ」と際限がない、大したこともない己に陶酔気味でどこにでもしゃしゃり出てくるその様は「オレオレ詐欺」の「変形特殊詐欺」「オレ様詐欺」とさしたる違いもないが、己のことはまるで見えぬのか、見て見ぬ振りの強欲さである。

 

〇九州の豪雨災害に対する政府の対応を見ても、彼らはほんとうに日本人なのかと思われる。何と言ってみても、実際にやっていることはとても自国民を大切にしているとは到底思われれないのである。一事が万事、こんな者たちに任せておいたらとんでもないことになるだろう。彼らは日本人どころか果たして「人間」としての最低限の条件すら持ち合わせているかどうか疑わしい。

 一方では、天皇はその務めを粛々と果たしながら、国民に対する気遣いも示している。

7月12日、政権関係者は被災地入りしたらしいが、私利私欲以外は何から何まで、やることなすことすべてパフォーマンスというおぞましさ。

 

〇いまだに、「陰謀論」などいう言葉で括って何か言った気になっている御仁が実に多い。確かに何の根拠も論拠もない面白半分、耳目を集めるためのみに作り上げられたようなものもあろう。しかし、そのような真実とはかけ離れたものも含めて、本質的に人間は天使にも悪魔にもなる、すなわち何でもあり得るのが人間の「営み」の実情でもある。いわんや権力闘争の歴史の流れの中で「陰謀」など日常茶飯事であろう。そのようなことには目をそらし自説に「都合のよいこと」だけを拾い集めて構築しても全体像は見えてこない。「陰謀論」などという言葉を敢えて遣う者たちの世界観は並べて平坦で皮相的である。この言葉を耳にするたびに、脂ぎった者が何を柄にもなく、かまとと、生娘のようなことを言っているのかと思われてしまうのである。

                              ー2017 7/4ー

 〇「侍の精神」を説いた後に「弱いものをいじめたり殺したりすることは絶対に許せません。弱きを助けるのは人類普遍の価値。人間フェアでなければならないと思います」と「強硬派」だか「右派の論客」だか知らぬが、以前日本テレビ系のキャスターをしていた桜井何某があたかも正義の使者気取りで言っていたが、彼女は安倍政権の擁護者でもある。そのことと弱きを助け強きをくじく「正義」の「侍精神」とどのようにつながっているのか、まったく整合性がないどころか真逆ことをやっているのが安倍政権であろう。そして、「現代版『菊と刀』」などというコピーの怪しげな「日本人論」を「展開する」ケント何某、この一連の流れは「日本会議」というフィルターを置いてあぶり出すと「内容」、「相関関係」とともに「金の流れ」もよく見えてくるものがある。すなわちどちらも底が割れているのである。

 

〇防衛相の「普通では考えられない軽さ」、これは何も防衛相に限ることではない。周知のとおり、名前も顔も出てくるだけで不快感しかもたらさぬ御仁の御一党様一同すべてに共通することである。彼らに命を捧げる人々とは、自分の命の重さもまともに計れずに死に至るのであろう。果たして、思慮の軽重だけの問題なのか。これも人間の測り知れない「愚かさ」の一つである。

 

〇この期に及んで、「一点の曇りもない」などと言う為政者。もはや精神を病んでいるとしか言いようがない。それは、一点の曇りもなく真っ黒なのである。やはり精神病棟そのものである。

 

                                                                                                                   2017 6/27ー

117.つれづれに一言で片付ければ (5)ー19件ー

〇「人はエネルギーだ」こんなCMがあったが、そう、彼らにとって人はエネルギーであって「人間」ではないのであろう。何気ないコピーに隠された「前意識」。

〇「弾道ミサイル落下時の行動」という政府広報、タイミングも段取りも狂ったな、それが正直なところであろう。内容は危機をあおるだけの具体性もない、まったく無意味なもの。これを大まじめにやっているとしたら笑止の沙汰、究極のオメデタサである。これでは原発事故が起きても「机の下にかくれましょう」程度のことしかできまい。

〇「信なくば立たず」、ならば、立つな! Go away!  Adieu pour toujours! A morbid liar!

 

〇いつから怪しげな外国人タレントに変貌したのか、もともとそうであったのかは定かではないと最近思い出されるのがのがケント・ギルバートという弁護士タレントである。この手のパターンでは橋下がすぐに浮かび、また選挙前の売名かとも思われてしまうが、彼はアメリカ国籍である。2015年の「アパ日本再興財団」(例のアパホテル)主催の第8回懸賞論文で受賞している。参考までに、第一回の受賞論文があの田母神俊雄である。ケント・ギルバートの妙に親日的な、日本人を理解しているような、その国民性まで知り尽くしたかのような言説に違和感を覚え、少しチェックしてみるとやはり日本文化についても皮相的で、言っていることも継ぎ接ぎだらけである。表に出てくるタイプ典型の浅薄さを持っている。例えば、「自虐史観」を刷り込まれた「無自覚左翼」、「プロパガンダ」などの頻出使用語彙をみても日本会議の影がちらつく。書いている内容も「日本会議」が喜びそうなことばかりである。因みに、この「雄弁な」タレントも年と共に顔つきが悪くなってきている。彼の言動は何か共和党の「下部組織」でもある「突撃部隊」・「ティーパティー」を彷彿とさせるものがある。彼の「親日的感情」、意識は「アメリカ合衆国日本州」に居住しているアメリカ人というところであろう。「日本会議」なども元を正せばアメリカのタカ派に行き着くのかもしれない。

                                  2017 6/21

 

〇無限なものは二つあり、それは宇宙と人間の愚かさであるという。昨今では人間の愚かさばかりが無限に膨張しているのではないかとさえ思える。

                                 2017 6/19

〇国民の当然の疑問、批判に対して、「ゲスの勘ぐり」、「難癖をつける」などと言っている「政権」、これは一体何だ?政権の資格などまったくない。責任政党などとはおこがましい。与太郎の与太話などいつまでも聞いていても仕方ないのである。彼らはやはり何をどのように言ってみてもゲスそのものなのであろう。ゲスの言い訳などに聞く耳を持つ必要はまったくない。ゲスは必ず裏切るからゲスなのである。そして、自分がやってきた「悪事」をすぐに他人に転嫁する。実際、「印象操作」なども自分が配下のマスメディアを使ってしてきたことであろう。言うことなすことすべて信用ができないという世にも珍しい私利私欲だけの組織である。

                                                                                                                                         ー6/18

〇あるTwitterに「大多数の国民は苦痛を苦痛と考えない、これが与えられた世の中だと思うのだ。」というのがあったが、実はそれが「賢い方法」であるとどこかで思っているからそうなのである。しかし、実情はそれがやがて身を亡ぼす最悪の怠惰な選択ということになることに気付かないだけのことなのである。その「賢い方法」自体が、詐欺師にとっても、独裁者にとってもこの上なく好都合なのである。

                                                                                                                                               

〇「生き方」、「死に方」まで他人のアドバイスを受け、挙句の果てに「働き方」まで他人の指図を受けてよしとする人々とは、一体いつ自分の頭でものを考えるのか、誰の人生なのかとも思われる。

                                                                                                                                                ー6/17

〇驚くことに、いまだに現政権支持について「他に適当な人がいないから」などと答える若者がいるのである。確かに以前から「ころころ政権が変わるのはいかがなものか?」、「ねじれ国会」などと民主主義の根幹の理解が危ぶまれるようなことをしたり顔でもっともらしく吹聴してきたのもマスメディアである。政府広報のようなマスメディアの言っていることを真に受け自分の考えのように言っているだけではやはり相手の思うつぼである。要するに完全なるマインドコントロールである。もう少し自分の頭で捉え直しをしないと、やがて真綿で首を締められることになる。

 

〇安倍政権と心中するご一同様、もはや浮かぶ瀬は決して訪れないだろう。それだけ各自の名前が各場面で刻まれてしまっているのである。それはあたかも戦場跡のごとくに多くの者たちの頭の中に烙印されてしまったということである。「印象操作」ごときで払拭できるシロモノではないのである。それでも、一人、印象「踊り」を繰り返す者の滑稽無残な言動、それはどう見ても唾棄すべき対象にしか見えないであろう。政権ベッタリのテレビ幇間(ほうかん)、そのコメントを真に受ける者、「正論」を振りまく政権の「パシリ」、四六時中テレビのハリツキ・ポッターのような者以外はそのように思っているはずである。

 ねた割れし者たちの「和音」とは常にかくありぬべし。

 

〇「国際政治学者」という「テレビ芸人」から「政治家」になった舛添要一が「都知事失格」という本を出し、またぞろ何やら言い始めている。言いたいこと恨みつらみもあるであろうが、それはすべて最初からわかっていたこと。体制内入らなければ何もできないなどと自民党に入った時点で彼は終わっていた。「体制内変革」などは幻想、可能不可能などという次元ではない。「自民党をぶっ壊す」に始まった小泉「劇場」も単なる自民党内の派閥争いをそのように称したに過ぎなかった。やはり、どこかで絡め取られているのである。舛添もよく評価してミイラ取りがミイラになるがごとくに立ち去らざるをえなくなくなったというのが実情であろう。その間に知り合った者たちの虚像と実像悲喜こもごもの人間主義的なこと、あるいは事象の細部にわたる弁解「説明」をしてもそれほどの意味はない。マスメディアの愚蒙な死点、衆愚政治に乗じて登場し、失敗した者が今度は恨みつらみも取り混ぜてマスメディア、衆愚政治を批判する。批判自体はよいとしても、それに隠れた別の意図がすでに見え隠れしている。まだ立ち位置が「本心」などを口にする状態ではない。またぞろ自民党に返り咲くつもりかと聞きたくなるような動きでもある。実のところ、二股膏薬的なものしか感じられないのである。このようなスタンスでは、機を見るに敏なだけだった石原、何もない押しの強いだけの猪瀬と同様である。要するに根幹部分のスタンスに問題があるのである。確かに青島、石原、猪瀬、舛添を選んだ者たちとは衆愚なのである。もちろん彼らだけではなく、現状は衆愚政治の典型の域にある。

 

〇つくづく恥知らずな政権である。言葉が出るそばから締まりもなく溶け出している。頭の中も同様、これからも何とでも言うであろう。聞くだけ無駄で聞きたくもないが、何気なく耳に入ってくるから困ったものである。これも手の内なのであろう。 勇ましいこと、格好いいこと、もっともらしいウソなど100%口から出まかせ。100%というのも珍しい。ここまで白を切るというのも狂気である。やはりまともではない。そのまともではない人間に「目をふさがれ」身を託す人々とは、これもまたまともではない。何にもないから「印象作り」に専念するのであるが、何を血迷っているのか、他者の質問もすべて「印象作り」に見えるようだ。完全に狂っている。世界が不穏な空気を感じるのも当然である。

                               2017 6/1ー

〇漱石を引用するまでもなく、愚か者ほど大口をたたくものである。義もない、覚悟もない、徳もないからヘラヘラとウソをつき続けるしかないとも思えるが、公人私人も不明で、はた迷惑も甚だしい。

 

〇トランプも安倍もツイッターが好きである。この点も共通点の一つである。ツイッターは単なる無責任な「つぶやき」である。そんなものはいちいち取り上げるまでもなく、無視すればよいのである。それをそのまま信じるなどは愚の骨頂だが、二股膏薬の彼らのことであるからそこには常に「計算」がある。忖度させて思う方向に持っていくことなどは日常茶飯事であることが昨今の事情からもわかる。

 

 〇「アゴラ」とやらの池田信夫、東電原発グループをバックにして金回りもいいのであろう。これも「御用」の類、「アゴラ」というのは「御用の広場」と見た方が適当である。因みに、「株式会社アゴラ研究所」と古代ギリシャのアゴラとはその発生と展開において天と地ほどの違いがある。

 しかし、「アゴラ」が発信している内容、これで納得する者がいるとは驚きでもある。ここで書いている人間たちも、どれもこれも「金主」の顔色をうかがっているようなものばかりで一体「何を」勉強してきたのかと言いたくなる。論客?詭弁で飯を食う人々の集まりであろう。それも「金主」のお気に入りのソフィストたちである。言っていること一つ一つを具体的につぶしたくもなってくるが、長くなるのでここではやめる。それに彼らのような人種と付き合っている暇もない。こんなろくな世界観もない「専門家」と称される者たちに丸め込まれているようではそれこそ「毒マンジュウ」を食わされるかストロンチューム90を飲むことにもなろう。

 

〇山口敬之(元TBSワシントン支局長)がジャーナリストなどとは冗談も休み休み言ってもらいたいものである。「最も安倍寄りのジャーナリスト」と言われているそうだが、もともと政府のプロパガンダくらいしかできない義もない、覚悟もできないだらしない男である。顔つきにすべてが現れている。走狗の典型である。最近の「強姦罪」問題、この男なら当然であろう。これが初めてではあるまい、手口が慣れ過ぎている。おそらくアルコールに睡眠薬でもいれたのであろう。この男には被害者の女性ほどの覚悟もない。いざとなれば「お力」にすがりつく、ここでもまた安倍の影がちらついている。こんなことをいつまで続けているつもりか。何もかも「元凶」は一つ、明々白々である。言ってみれば彼の言っている一部始終など「詐欺師」の補完、脚色程度のこと、後は金の流れを見れば一目瞭然であろう。この男の本をどこが多く引き取っているのか。「例の怪しげな組織」も当然からんでいることは否定するほうが困難である。

 TBSを辞めた理由は?辞めたのか辞めさせられたのか?今頃はこの女性被害者の身元調査で付け入る箇所でもさがしているのであろう。そして、また読売紙上で発表か?どちらにしても「ああ言えばこう言う」見苦しいやからである。恥を知らぬ者は、日本人とは言わないのである。

 彼はフリーのジャーナリストでも何でもない。安倍政権のプロパガンダのプロパーに過ぎない。味噌もクソも一緒ではフリーのジャーナリストも浮かばれまい。

 

〇肝心なことになると「記憶にありません」、この国には詐欺師と認知症と空気を読む俗物しかいないのか。

 

〇タケシが、前川喜平前文科次官について「前川さんも天下る先は風俗会社しかないな」と言う。タケシは気の利いたことを言っているつもりなのであろうが、ほんとうに喜ぶのも笑えるのも官邸くらいなものであろう。要するに、何もわかっていないのである。世間の目が行きそうなところをただいじくり回しているだけ。タケシ以下すべてこの調子である。笑いの質も推して知るべし。

「 知性」皆無の才人気取りのアホの「感性」が劣化し腐臭を放ち始めるとこのようになるのである。よく見届けるべし。 

 

〇茂木健一郎が、「日本のお笑い」について言ったことは大方のところ間違いではない。以前、私もそのことについてはこのサイトで取り上げた。人間のいるところ「笑いの世界」は死滅することはないが、その質が問題となる。現状では日本の「お笑い」、「お笑い芸人」というコンセプト自体がもう意味をなさないのである。わかりやすい一例を出せば「お笑い芸人」の顔が出てくるだけで不愉快になる人々が実際に多くなっているということは、もはや「お笑い」をする「芸人」ではない「お笑い芸人」になってしまっているということでもある。人を笑わせることを目的とするなら「漫才」、「落語」などの芸そのものが問われるものがあるが、「お笑い芸人」とはもはやそこからほど遠く、人を笑わせるのではなく自分が笑って「客いじり」のようなことばかりをして間を持たせているだけということである。それは、ただそれだけのことに親しみを感じる「哀れな者」たちか、余程鈍感な偽物しか知らない者たちしか興味を持たない内容になっているということである。そのような兆候が至る所に現れているのである。それは一過性でしかないものの当然の成り行きでもあるが、衰退を余儀なくされているということである。

                            2017 5/23ー5/30

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