両忘の時‐ある日、その時‐

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五叉路

156.つれづれに一言で片づければ (31)ー16件ー(711件)   

〇絵に描いたような勧善懲悪の世界、それが今回の選挙である。詰まるところ、善と悪との戦いである。もっともらしく四の五の言っているのは明らかに悪の側である。もはや、ゴマカシと言い訳は無用。こんな、バカバカしい程の勧善懲悪が現実に起こっていることに驚いている。自分たちのやってきたことを少しでも考えられる頭を持っているのなら、ここまでの悪行には至らなかったであろう。ここに至っては、本来なら、左翼も右翼も、「保守」「革新」もまったく関係ない。金次第で何でもする「Dappi」の類は論外であるが、この手の有象無象もまた多い。要するに、悪徳政権とそれに与する悪そのものとそれに対する善との戦いという実に単純なことなのである。もし、これを複雑化しもっともらしく開陳している者がいれば、それは悪徳政権の手先か、「Dappi」の類か、どちらにしても国民の側に軸足はない。国民の側に軸足を置かないということは、民主主義世界の中では悪なのである。

                              2021  10/29

 

〇「あなた方」と「ともに」では、永遠に「新しい時代」は来ない。勝手に希望的観測で思い込むとえらいことになる。そう、彼らの延長線上に訪れるのは、いつか見た忌まわしき、今度は米国の思惑通りの戦争のできる「新しい国」である。防衛?地理的に見ても、地球物理学的視点から見ても、武器の使用効果実験所になるのがオチであろう。勇ましい綺麗ごとを言っている者たちは現状、実情が全く見えていないと思われる。確実に見えているのは自分たちの保身、延命と経済(=銭)の動向だけである。彼らの言う「ともに」は、やがて「放置」であることを多くの人々は肝に銘ずるべきである。それは今までいやというほど見せつけられたことでもあろう。

                                       10/28

                                

〇大手新聞社とは、要するに、大手企業のためにだけあることを忘れないことである。すなわち、その立ち位置は常に財閥側、それはそのまま財=政=官と横並びなる。したがって、そこで伝えられるすべては、上意下達の内容を口当たりの良い言葉に並べ替えただけということになる。それを購読料を取って「国民」に読ませているというのが、その実態である。だから、何かあればすぐに「大本営発表」になるのである。現在の選挙期間中に、予想屋よろしく、1面トップで「自民過半数確保の勢い」(朝日)である。これはもろに「大本営発表」で、その本体が露呈されている。これは何も朝日新聞ばかりではない。こんな質の良くない予想屋のような記事で大衆操作をする。言語道断である。ほんとうにここまで堕ちたかと言わざるを得ないが、元々の繋がりを見れば、それが彼らの本質なのである。こちらが、淡々と絶え間なくチェック、追究すればいいだけのことである。

                                        10/27

〇低劣なユーチューバーが、「悪名は無名に勝る」と豪語したそうだが、そんなことは何も此奴の専売特許でも何でもない。使い古された言葉でもある。最近では、小泉純一郎が竹中平蔵を慰めるつもりで発した言葉として記憶に新しいが、何のことはない新自由主義の中で蠢く者たちのやがて至るところでもある。最近の傾向として、「犯罪者」が何か誇らしく居直っているのもこうした事情がある。現役の為政者が「推定有罪」であるにも拘らず役職について「ホラを吹きまくっている」のも実情である。にもかかわらず、「他に適当な人がいない」?「誰かできる人がいるのか?」?などと今だにそれで何か言い当てているつもりになっていこと自体が、まったく意味のない死語を弄んでいるだけとも言える。政権与党の為政者の顔ぶれを見れば、ずる賢い、強欲者なら誰でもできるという証明にしかならないだろう。決して能力の有無ではない。現状は、もはや一部を変えて済むという状況ではないのである。

                                                                                                                     10/25

 

〇「ロン・ヤス」にも笑ったが、その後の「ジョージ・ジュンイチ」にも笑わせてもらった。「バラク・シンゾー」、「ドナルド・シンゾー」、「ウラジミール・シンゾウ」に至っては、三流芸人の笑えないギャクを押し付けられているようで耐えられる代物ではなかった。何もない者が何か深い関係があるように見せかけることに必死になっているようないやらしさが際立ったからである。「シンゾー」は、ドイツの首相に対してもファーストネームで呼びかけている。女性の首相に対しても、ファーストネームとは、公の場で、亭主でもあるまい、この感性にはやはり知性が欠落しているとしか思えない。勘違いが過ぎる餓鬼のような自己誇示、何かありそうに見せかけるという空疎な者にありがちな小賢しい手法で、悦に入っているナルシストである。ひんしゅくを買っていることさえもわからないのであろう。人間としての肝心な根幹部分が空洞、言ってみれば、人間の境涯にはいない者なのである。

                               2021 10/23

 

〇競馬の予想屋ならいざ知らず、「総選挙予測」などという総選挙の予想屋のようなことを生業にしている者がいるようだ。今までに、自民党系議員の選挙対策に関わっていたらしいことが記されていたが、然もありなんと思われる。言ってみれば、誰かに飼われた「予想屋」風の「選挙操作業」である。今回、この手の者がひしめき合い、蠢いているのが以前にも増して露骨に見える。それは何を意味するか?巻き込まれないように注意しないと何度でも地獄を見ることになる。どちらにしても、選挙に行かなければ、何をされても泣き寝入りを余儀なくされる機会が多くなるのである。

※「選挙プランナー」

                                    10/21

 

〇ある有名な音楽家が、本当に音楽が好きで、楽しみたい人は音楽を仕事にすべきではないと言っていたことをふと思い出した。

                                    10/19

 〇なぜか、このようなタイミングで必ず北朝鮮のミサイル発射。危機を煽るには出来過ぎた絶妙のタイミングである。防衛力強化、改憲を主張する者たち、軍需産業関係者にとっては一番好都合であるということだけは確かなのである。「見えない糸」で繋がっているのであろう。冷静に考えるべきである。こういう時に「勇ましいこと」を言っている者たちとは例外なく信用できない。そして、いざとなると用意された逃げ道を一目散に逃げ出す。乗せられた者たちは放置されるのが常である。それは、様々な歴史が証明していることである。

 ゆめゆめ愚かしい感情に流され、蛮勇に走ることのなきよう。そは自滅の道。

                                     10/19

〇「嫌中」、「嫌韓」などと言われている者たちを見ていると、自らがやっていること自体が日本のためにはならない、不利益になることがまったくわかっていないのであろと思われてくる。そういう意味では、まさに「反日」そのものなのである。「嫌中」、「嫌韓」が「反日」とは、アイロニーであり、パラドキシカルである。ツイッターなどでも、「日本が大好きです」などと言い出すから、こやつ何者か?日本人か?と思えば、案の定、あることないこと取り混ぜたいかがわしいプロパガンダの「ご開陳」がはじまる。「偏向報道するマスコミは嫌いです」って、こやつの言っている偏向もまた半端ではない。葦の髄から天井を見るような視点しか持ち合わせていないヤカラに「好きです」などと言い寄られる「日本」も哀れ、こんなのに取り付かれた日には、目も当てられなくなる。

                                                                                                                10/16

〇取って付けたような日本、日本人の美点をあげつらい、国民に強要する前に自らその所業を正すべきである。範を垂れなくてはならない者が、詐術師、犯罪者の類では示しがつくまい。昨今の様々な事件なども行き過ぎた「個人主義」が原因であるがごとく言う者もあるが、それもまた責任転嫁である。いまだに「個の確立」など成し得てないのが現状なのである。そこには、新自由主義と「個人主義」を同等、同質レベルで括り、それを全体主義的方向で制御しようということが見え隠れしてるというより丸見えである。何度もいうが、もはや中国も、ロシアも北朝鮮も共産主義国でも何でもなく、むしろ反共路線の全体主義国家と言ってもよい。そういう意味では、日本のカルト的全体主義が目指す方向と重なりさえする。今時、「共産党」=暴力革命などという単純構造で捉えて何か成し遂げられると思っているところなどは、その存在すら危ぶまれる。そもそも誰も付いて行くまい。単なるネガティブキャンペーンの恰好の対象となるだけで、どちらかというと民主主義を装った全体主義者が使う陳腐なネガティブキャンペーンの常套手段でもある。しかし、自分の仕掛けた罠にまんまとはまっていく過程を日々見せつけられているのが昨今でもあるが、いくら金を使っても所詮は見え透いた小細工。策士策に溺れて、自滅の時期を待たれている状態ともいえるが、まだまだ陰謀策士の活躍の場はあるようだ。テレビなどでも、政府関係者ばかりが集まって自慢話である。これでは偏向報道も甚だしく、それこそ放送法第4条に抵触することである。こんな垂れ流し番組を口を開けて観ているようでは、やがてその口に飯さえ運べなくなるということもあり得る。大方のテレビ屋、新聞屋も今や堕ちるところまで堕ちているというのが現状でもある。この程度の小細工で騙されるのであれば遅かれ早かれ身近な特殊詐欺程度のレベルでも軽くひっかかる。この新自由主義の中では、いわゆる「勝ち組」などと称される者たちは大なり小なり「悪の道」に踏み込まざるを得なくなるのである。「勝ち組」などと言っても、言ってみれば「悪組」なのである。相変わらず現状は、正直者、誠実な者がバカを見るということである。これでいいのかという問いかけにどこまで答えられるか、是正するかにかかっている。これが「現実」などと分かった風な認知症気味の「大人」の世迷言で納得しているようでは、一生涯現実を見ることさえできずに終わるだけということである。

                             2021 10/14

〇この国の民主主義も幼稚だが、それにも増してジャーナリズムは未成熟どころか、果たして存在するのかと言いたくもなる。きちんとあったことさえも伝えぬ報道、中途半端な要領を得ない解説、さらには肝心要の批評がなくなっているか、簡略、省略されている。要するに、ジャーナリズムの最重要部分が抜け落ちているのである。ジャーナリストなどと言っても、単なる編集者なのか、プロパガンダのための雑文書きなのか、政府広報のお抱え売文業者なのかと言いたくなる者たちばかりである。記者クラブなども、記者本来の仕事を捨てた者たちの記者捨てクラブのようなもので、無用の長物と言うより、その存在自体が記者の在り方を損ねているのである。

                             10/13

 〇選挙前のこの時期、御多分に洩れずまた匿名のまことしやかなデマ、いかがわしいプロパガンダが横行しているようである。匿名であれば、すべてFake(フェイク)、でっち上げ、ねつ造とみてまず間違いはない。それに乗せられる者とは余程の無防備な極楽とんぼか、発信元と同類か、無知な「信者」である。日本は、実質一党独裁の形ばかりの民主主義国家であるので、怪しげな匿名発信の内容、発信元はどのようなものかすべて特定、察知できるのである。勝つ者はすべて悪人ということをそのまま地で行くような党であるが、この先どこまで行けるか、どこで逝くか、それが問題である。

「Dappun」だか「Dappi」だか知らないが、こんなの侍らせているようじゃ長くはない。仮にこのような者が存在したとしても、この手の者に愛される日本も災難である。デマ、フェイクを税金使って垂れ流しているとなれば、これもまた大問題である。何でもありの、「悪人」でなければ「人でなし」というところであるから、真相など決して明らかにするはずもないが、徹底的に追及すべきである。「Dappi」もまた致命傷である。またぞろ北朝鮮のミサイル発射回数と司法の首のすげ替えが増えるであろう。自ら仕掛けた罠にはまりながら、今度は「Dappun」か、今から臭う。

                            10/11+

 

〇2021年ノーベル物理学賞受賞の真鍋叔郎氏は「日本に戻りたくない理由の一つは、周囲に同調して生きる能力がないからです」と、さりげなく核心を衝いた応答をしている。この方も早く日本から離れて自分の持てるものを縦横に開花させたひとりなのであろう。「周囲に同調すること」しか生きる術を見出せないということは、様々な問題を提起している警句でもある。真鍋氏が1997年に一時帰国し、地球温暖化予測研究領域の領域長に就任した際に直面したことも、因循姑息な縦割り行政で学術研究を阻害している現実である。もはやこの地で研究することはできないと思うのも至極当然であろう。今後ますます真鍋氏のようなケース(知的財産の海外流出)は多くなるであろうが、研究を開花させるしっかりとした土壌を作っていないということでは、やはりその国の責任でもあり、自業自得と言わざるを得ない。氏より育ちというが、真鍋叔郎氏を育てたのはアメリカなのである。こんな時だけ日本人の誇りなどと言っても遅すぎる。その様、捨てた子供が成功して、突然名乗りを上げる金目当ての因業な母親のように醜い。もはや日本人云々のレベルの話ではなく、それとはまったく無関係である。

                                                                                                           10/10

〇「キングメーカー云々」笑止だが、いつの間にか「キング」?単なる裏工作者を「キングメーカー」という「美称」に置き換える意図は?政局とは陰謀のことなのであろう。洒落にもならず限りなくブラックである。「アソウ節」、「コウノ節」これで何が許されたのか、何を納得させようとするのか、言うに事欠いたか、作為なのか、これもまたブラックである。

                                                                                                             10/8

〇「彼(女)は反新自由主義だから」、これで問題のある新自由主義を否定して新たな展開を目指しているのかとオメデタイ解釈をすれば、それまでである。カルトを基盤にした全体主義国家を目指す者たちも当然「反新自由主義」であるということを忘れるべきではない。「新自由主義の見直し」という表現もそうである。どのように「見直す」のかが問題なのである。状況が状況だけに、耳触りの良い言葉に僅かでも光を見出したい一心で、思いばかりが先行し判断を誤ることになる。そこには、やはりハイデッガーですらヒットラーに欺かれた要因の一つが通底していると思われる。況や、昨今動きが活発化している御用学者、その周辺の評論家、ジャーナリストなどは言うに及ばない。そもそも彼らの成り立ちそのものが買われた命で、知的売春夫(婦)と言ってもいいようなものであるから尚更のことである。「反新自由主義」を標榜し、耳目を引き、やがて、カルトを基盤とした国家による徹底した管理、裁量的政策に移行させるという寸法であろう。新自由主義に対しては、是正する方向で徹底した追及だけが必要であり、その追及の過程そのものが問題となるのである。新自由主義に対して、明確に拮抗し得るものを持ってこようとすれば、一見よさそうには見えるが、それは国家権力の再強化編成に必然的につながり、その作業自体には危険が伴うのである。飽くまで既得権益の死守に過ぎないことを「国民の命を守る」と言い換え、カルト的独裁国家を「強い国」などと称して国民には再び「捨身」を要求し、またそれが当然と思わせる安直な教育を施す。今、偽りの曙光などを見てありがたがっている場合ではない。さらに、様々なところで、細心の注意が必要となってきているということに過ぎないのである。

                                    2021 10/6

 

〇コロナ禍も含め、国民のことを考えているのなら、国会を開いて緊急にやらねばならないことは多々あるにも関わらず、選挙のためにメディアジャックして、自党の政治ショーに現を抜かす。これも一事が万事なのであるが。ここまでくると、またぞろ、言わざるを得なくなるのが「改憲問題」である。「改憲」を一番望んでいるのは、「自国民」というより米国であり、ジャパンハンドラーとジャパニーズカルトであるということだ。それに煽られて帆掛け船みたいな御仁たちがこの機を逃してなるものかとばかりに「右旋回」ばかりを繰り返しているというのが実情である。いつの間にか、「保守本流」、「正統派右翼」までもが「左翼」扱いになっている。これでもっともらしく「憲法論議」?、論議など元々するつもりもなかろう。「結論」一途でいかに「右旋回」を繰り返し、戦前回帰を成し遂げるか、それだけである。そして、めでたく「他力自主憲法」の成立の暁から、位置的にも「世界の実験場」と化す可能性は今まで以上に高くなるということは余程の極楽とんぼ、平和ボケしたタカ派でもない限り、普通に考えられることである。どちらしても、特攻隊などを強いる国とは、自爆テロも可能なところと同様、やはり「カルト」として捉えられる範疇以外はあり得ない。民主主義がほんとうに根付いていないところで、「カルト」に基づいた国家観で突っ走る御仁たちが憲法をどのように援用、敷衍するか、あるいは変えるかはわかり切ったこと。それは軍産複合体にとってもオイシイ路線である。その彼らがバックアップするために白羽の矢を立てるのは、決まって従順だが口だけは達者な空疎な人間である。多少狂っているくらいの方がさらに都合がいいのである。これでは異常な結果しか生まない。ほんとうにどこまで後退してしまうのかと思われる昨今である。

                                   2021 10/3

 

〇変わったのは言葉遣いだけ、後は自滅。「新自由主義の見直し」?この「見直し」はどのような「見直し」なのか、そこを問うのがジャーナリストでもあろう。「新しい資本主義」とは「新新自由主義」のことで、新自由主義をさらに巧妙に拡大浸透させることだとも言えるのである。そうでなければ、「見直し」とは、具体的にどういうことなのか、きちんと説明しなければならない。常にどうとでも取れる言い方で、その場しのぎをしてきたことが今なお連綿と続き、今後も全く変わることはないことがよくわかる。「新自由主義は敵である」というのであれば、それだけで明確に内容も方向性も見て取れるが、飽くまで「見直し」である。これをまた希望的観測で、おめでたく解釈すれば、再び地獄である。彼らは都合よくどちらにも解釈される言葉をあらゆる個所に埋め込み、変わったように見せかけるしか生き延びようがないことを明確に見据えておく必要がある。そうでないと何度でも騙されるということになる。もうすでに騙され続けて、身も心もボロボロであろう。

                                    2021 10/1

 〇見え透いた三文芝居でよくまあここまで長く引っ張ったものである。ありそうでなさそうな、なさそうでありそうな、実のところ、何もない。しかし、このもっともらしく、長ったらしい金のかかった政治ショーに知らず知らずのうちに乗せられ、巻き込まれてしまっている者もいることであろう。そういう意味では衆議院選前に今までの負のイメージを払拭する効果は、特に「B層」などにはそれなりにあったであろうと思われる。その点では、この政治ショーの仕掛け人の思う壺でもあるが、その「思う壺」はすでに底が抜けていて、だだ漏れである。どちらにしても、この組織が骨粗鬆症も併発している末期癌の状態であることを見せつけるライブであったことは間違いない。下級国民はもう失うものはないのだから、常にチェンジを求め、チャレンジに身を委ねるしかあるまい。それが持たざる者の唯一の強みなのである。年収300ー400万程度の者、それ以下の者たちが既得権益側の口車に乗ってその気になっているのを見るたびに、人間の弱さ、愚かさを見せつけられる思いがする。

「大衆は小さなウソには敏感だが、大きなウソにはコロリと騙される」とは周知の悪名高き御仁の言。今後、美辞麗句で飾られた大きなウソがゴロゴロ出てくるであろう。平均賃金G7中、最下位、OECD加盟国35か国中22位で韓国より下回っているという現状も忘れて、「頭」も「屋台骨」も腐っている組織の甘い言葉に振り回されているばかりでは、転けるだけでは済むまい。

※「B層」:広告会社が、階層分類の一つとして便宜上作り出した言葉で、IQが低く具体的なことはわからず、イメージで選挙をしたり、ポピュリズム政治、特に詐術的迎合に乗せられやすく、流されやすい層。

                                   2021 9/29