両忘の時‐ある日、その時‐

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メッセージ

32.とにもかくにも新しき年に入りて

 とにもかくにも新たな年に入りて

 新しき年に入ったからといって急に今までの「歩み」を止める訳にも行かないのが多くの者の現状であろう。そうかといって「歩む」速度の上げ下げは想定をはるかに超える負荷と危険が伴う。ただ、今までの「歩み」を「是」としなければ「歩み」を止めずとも、もちろん「歩み」を止められる勇気を持てばなお結構だが、方向は変えられるものである。「君子は豹変す」とはそういう意味である。「是」は「道理」を根拠とし、「道理」とは少なくとも個人の利害にも一国の利害にも左右されるものではない。それは敢えて言えば地球上に生息する人類に課せられた最終的な延命策ともいえる。

 しかしながら、「The road to hell」は「good intentions」で常に舗装されているものである。そして、「good intentions」はいくらでも解釈が成り立つ。個人的願望からマニフェストの類、果ては「Beautiful Japan」「Strong Japan」などの陳腐な「美辞」麗句も当然あらゆる解釈を許す「good intentions」に含まれる。そして、多くの場合「good intentions」は偽装されているから「The road to hell」なのである。「強く美しい」、戦争のできる国はもう目前である。

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31.モディリアーニ「論考」からクレムト「論考」へ

 12月29日、2013年も終わり2014年を迎えようとしている。忘年会、新年会などというものが無縁、無用のものとなってから久しい。おそらく私は12月のモディリアーニ「論考」からクレムト「論考」の中で新年を迎えるのではないかと思われる。語るに足らないわかり切った現状の問題などに時間を取られている暇はない。

 つい4,5年前まではユトリロのようにアルコールを切らしたことはなかったが、健康を害した訳でもないのに突然、まったく飲む気が起こらなくなってしまった。自分でも不思議なくらいである。限られた時間の中で酔生夢死だけは避けたいという思いも以前から強くあったが、今では飲むこと自体が時間の無駄という結論に至っている。ユトリロはアルコールを切らさなくても絵画で自己確認をすることができたが凡夫が飲み続けていては単なる愚者になるしか他に道はない。「特殊な日本時間」が流れる只中で愚者がこれ以上愚者化しても埒は一瞬たりとも明くまい。「取りついていたものが落ちたようだ」などと身近な者に言われたが、自己の中に「巣くっていたもの」を切って捨てるとはこういうことなのかと思う反面、自然に立ち去る時期に立ち去ったのかもしれないという思いもある。

30.立ち遅れてもゆっくり進む

 たとえ立ち遅れたとしても、まわりから良き反応を得られなくともゆっくり進む方が賢明であろう。少なくとも群れを成して崖っぷちから落ちることは避けられる。いつまでも右を向けと言われれば右を向き、左を向けと言われれば左を向くではただ動かされているだけである。そんなことをしていては今の自分のほんとうの「痛み」が見えてこない。「痛み」とは生きることと不即不離、時によっては「生きている証」ともなる。それが自分自身の頭で考えることを余儀なくさせるのである。その「痛み」を忘れるためにいつの間にか生きる速度を上げてしまう、または上げられてしまう、そしてその「痛み」は消えたかのような錯覚に陥るが、それが実はド壺にはめられていることなのである。自分で速度をコントロールしているつもりで実はコントロールされているということになる。そして、ド壺にはまったものは身動き付かぬまま崖っぷちに立たされることにもなる。それは怖ろしく容易で身近なことなのである。

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29.テンポ ルバートのギニョール

 テンポ ルバートのギニョール

 鉛色の空の下

     風見鶏は音ばかり

                 歌のないロンドはマリオネット

     テンポルバートのギニョールが

         無数のマリオネットの糸に群がっている

                  

                        平山勝

                                  2013年6月27日

                      

28. 反権威の闘将 映画監督・大島渚の死

 映画監督・大島渚には「巨匠」などという名称も勲章も似合わない。やはり彼は闘将であろう。最期は死神に不意打ちをくらい、自由を奪われながらも不本意な戦いを強いられたが、漸く死が彼の全機能を飲み込んだ。自由を奪われた彼はどれだけその時を待ち望んだことであろうか。生と死以外には何もないその狭間で取り留めのないフラッシュバックはどれほど人を戦慄させ、あるときは酔わせるものか。そこでは明解な知性、理性などというものも時空とともに歪められあたかもブラックホールのごとき空間の流れを体感し得ることがある。そこでなされた会話は決して現実的には成立し得ない生と死が重なり合った高密度なものであるが故に生々しい「変形」としか捉えられないものである。今そのようなことを完全に否定しうる明解な根拠を見い出すことはできない。

 私の青年期、大島渚はポール・ニザンの「二十歳が美しいなどとは絶対に言わせない」という言葉と共に常に身近にいた。

 戦い疲れた闘将は漸く深い眠りについた。また一人全人格的に闘いを挑む者が消えた。

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27. 2013年 迎春 

 迎春, しかし めでたさも ありやなしやの 巷(さと)の春 といったところではないだろうか。

 幸いにも久しぶりに私は自分らしい正月を迎えることができた。ベートーベンの第9を聞くのも久しぶりであったが90平方メートルばかりの空間に溢れる音は2012年の23時50分頃に第4楽章を迎えた。そこで親愛なる舞踊家はやおら立ち上がると踊り始めた。第4楽章が終わってなお舞踊家は立ち尽くしたまま。私が感じ入っていると、微笑みながら戻ってきた。

 バッハのオルガンの中で、舞踊家は汗を拭きながらグラスを傾けていた。その後どんなことを語り合ったのか、すべてが交響した時の流れに突然現れたものなのでその流れを止めて簡潔に語ることは難しい。

 モーツアルトが流れる中、久しぶりのアイラのシングルモルトが五臓六腑に染み渡った。

                                                                                                                                                         2013 1/1

                                          

                                                   

26. やはり「希望」は真実を曇らせる

 奈落を頻繁に垣間見るようになるとつい「希望」だ、「夢」だ「絆」だなどという空疎な言葉が唯一負のスパイラルから抜け出す指標のように思えてくるのも凡夫の凡夫たる所以でもある。そして、ネガティブな現状をポジティブに生きる方法論、HOW TOものがもてはやされ本屋にもその類の本が溢れる。正当な「駄目だし」さえも単なる「非難」、「足の引っ張り合い」の一環の中に矮小化され中和させられ、その内に、肝心な現状の問題点を見失っていく。いつものパターンと言ってしまえばそれまでではあるが、現状がどのように忌まわしいものであろうと、すべてはそれを直視した上での話である。人間はたとえ地獄を見ても何とか乗り越えようとするが、そんな時「希望」は真実を曇らせる方向でしか働かないものである。それは、底なし沼のある足場の悪い地雷原で前だけを見て歩けといっているようなものである。思い込むのは勝手ではあるが、それでは命がいくつあっても足りまい。

 安易な「希望」は身を亡ぼすだけではなく、真実を知ることもなく生きさせる幻覚剤となり、ついには「人間の形骸」に至る。それはいつ壊れても不思議ではない偽りの人生である。真実を知ってどうする?自らの首に縄をかけられてもなお事の次第が分からず微笑みかけるのも、唾棄するのもまた人生である。お気の召すままに。

 

 今宵は妻とふたりで送られてきたシャンパンと葡萄酒でクリスマスイヴを楽しむことにする。

                                                 

                                                                                                     2012 12/24

                                               

                                       

25. 近藤誠医師の菊池寛賞受賞に思うこと      平山勝

 賞などはどうでもよく、むしろこの受賞で賞の方に格が付いたのではないかとさえ思っている。

 近藤誠医師の本との出会いがもう少し早ければ、母を苦しめずにすんだのではないかという思いがあったので近藤医師の存在と母の死がすぐに重なり合わさるのである。母は乳がんで、切除手術後、抗がん剤で苦しみながら若くして亡くなった。近藤医師自身も1983年姉の乳がん発見が転機で、その後その集大成として1988年に論文を発表したわけであるが、それは医師としての将来を捨てることを意味していたことを後日私は知ることになる。母の死後、近藤医師の本を前にして、どうしてもっと早く教えてくれなかったのかと思いで悔やまれることばかりが頭に過っていたが、近藤医師がその本を出す際の覚悟を知った時に改めて日本の大きな問題点を見せつけられる思いがした。その当時の日本の医学界は今以上に、今もそれ程変わっているとは思えないが、保守的で西欧との格差は歴然としているにもかかわらず閉鎖的で近藤医師のような論文はたとえそれが正しくとも受け入れるなどという状況ではなかった。言ってみれば医学界の既得権益死守である。その結果、彼のような医師は完全に出世コースから外され、排除されていった。

 時とともに、記憶も鮮明さを欠いてはきたが、私は母のことを思い出すたびに近藤医師のことが気になっていた。今でも慶応大学医学部講師でやっているのだろうか、あの擦り切れた革の椅子で頑張っているのか。そんな折、「日刊ゲンダイ」で「がん相談室」を担当している近藤医師の姿を見てほっとしたのを覚えている。そういう意味でも「日刊ゲンダイ」は私にとって親しみのあるものとなっているのである。もちろんそれだけではない、今を生きている金子勝氏、斉藤貴男氏、藤井聡氏、田中康夫氏、等々キャスティングもいい。タブロイド判新聞「日刊ゲンダイ」が内容的にも切り込み方においても日本では唯一ジャーナリズム本来の波動を伝えている。※他紙、週刊誌の類のほとんどは何をどう言ってみても「ポチ」が錦紗を纏い右顧左眄の紋切口上といった具合である。日本になくてはならぬこのタブロイド紙、ただ処理に困るページもあるのが難点ではある。

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 ※最近の東京新聞は他紙(「毎日」、「朝日」、「読売」など)とは違った問題提起をしているようである。ジャーナリズムとしては当然であろう。こういう状況下では捨て身の構えが必要になる。「毎日」、「朝日」、「読売」などと一緒になっていたら存在理由もないまま第二政府広報紙で終わりである。

                                                 

24. 2012年 所謂日本の「芸術」断想          平山勝

 現在の日本の「芸術」一般については括目に値するものなしと言うべきか、現実の方が括目すべきものが多過ぎるというべきなのか。総じて創作者の想像力がその源泉でもある現実にしっかりと根を下ろせず根腐れ状態のまま半ば枯れた枝に辛うじてひ弱な葉をつけているというような様相を呈しているとも言える。演劇については猶のこと、今何でこんなものをやっているのか、やっていられるのか不可解なものが多い。多くはサイコドラマの域を出ないか、「商業演劇」の縮小版で、純然たる作品として鑑賞に堪えるものなどはほとんどない。それは演劇に関わっている者にとってだけ必要なものでしかないというのが否定しがたい現状であろう。「大向こうをうならせる」などという言葉もあるが大向こうにいる第三者の観客の意識自体も下降の一途では「発信者」と「受け手」のより良き関係などは成り立ちようもない。具体的で分かりやすい内容とされていたものでさえ内容そのものがどこか宙に浮き、僅かな掛け違いが一瞬にして大きく拡大されその世界を色あせたものにしてしまう。憐れみと同情で見られるような芸術作品などはあってもなくてもどうでもいいものというより、むしろない方が世のためであろう。それは不純物の中に常に否定すべき「虚偽」、「偽物」を滑り込ませそれを肯定的に蔓延させ、文化的営為そのものを劣化させるだけだからである。今、演劇などは単なる「癒し」としての位置すら確保できなくなっているのが実情であろう。現状は刻一刻すべての領域において再構築を迫り、根底からの変革を求めている。「継続」などというコンセプトに活を求める作業自体が欺瞞的なのである。「発信者」と「受け手」のより良き関係などということも、自分たちだけが「幸福」になることが論理的にも不可能であると同様に、ある程度の文化的底上げがなされるまでは実質的に成り立ちようもあるまい。まだまだ先の話である。

                                                                                                                                                     2012 11/29

 

23. 2012年の忘れられない贈り物

 私がボランティアの一環として行っていた体の不自由な高齢者から数個のみかんとドリンク剤1本をもらった。「今年1年、ほんとうにありがとう」と言いながらみかんとドリンク剤の入ったビニール袋を私に手渡す彼の表情と仕草が目に焼き付いた。今、そのみかんとドリンク剤はなぜか戸棚の上に置かれたまま手つかずである。

                                                                                                                                                          2012 11/28

追記:人の善意を利用する組織も多い、その最たるものが国であろう。しかし、国のやるべきことであると言って今、現前で溺れかかって手を差し出している人間を見捨てるわけにはいかなくなるのも「人間」である。と同時に「人間」として当然の一つの行為を「絆」などという分かったような言葉で安易に括くられると妙に腹立たしさを覚えるのも確かである。

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